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ざつぼくりん 34「一咫半(ひとあたはん)Ⅶ」

「時生さん、オミくんって元気でいるんでしょう?」
華子が聞く。

「ああ、長野の養護学校に通ってるよ」
時生のことばは事実ではなく、願いだ。
       
片山さん一家が長野に引っ越した翌年の二月に、大きな寒波が襲来し長野は記録的な大雪が降った。家族は細心の注意を払っていたが、予想外の寒さにオミくんは風邪をひき、こじらせてしまった。オミくんはもともと循環器系が弱い。気がついたときにはひどい肺炎をひきおこしていた。それから日をおかず、この世を去った。

片山さんからの、オミは天国に召されました、と書かれた葉書がそれを教えた。そのいのちのおわりのあっけなさに身を震わせた。この世からいなくなったのだといわれても、生身のオミくんの声や感触がまだ身のうちにあった。オミくんは長野でロケットの絵を描いているのだと思いたかった。

同じように届いた葉書を握りしめて時生は絹子にプロポーズをした。

「どんな形にしろ、かならずわかれはやってくるし、それは思いもかけなく突然にやってきたりもするけど、だから、いっしょに、たいせつに、日を送っていきたい」

そのときの時生の眸の深い色を絹子はわすれない。たいせつなものがこんなにもあっけなく手からすりぬけるのなら、もう遠回りをするのはやめようと思った。時生の耳にイエスと告げた。
   
「筒のなかのオミくんのお箸、何本になったかしらね」

華子の言葉に刺される。もう箸が増えることはない。一瞬息を飲んだ絹子の顔を見て孝蔵が言う。  

「華ちゃん、こうしてみな」
 孝蔵が左手の親指とひとさし指でLの字を作って「一咫半」の説明をする。孝蔵が昔は大工だったことを絹子は思い出した。

「一咫半てえのは……自分の足の大きさとおんなじなんだよ……華ちゃん」

へー、不思議ね、と、言いながら華子はそのLの字を足裏にあてて、寸法を測る。

「あ、ほんとだ、おんなじだ。すごーい。えつこちゃんに教えてあげようっと」
孝蔵は目を細めて華子のしぐさを眺める。

「ははは。驚いたかい? ……手が大きくなったら足も大きくなるってことさ」

大きくなったオミくんに会いたかった。生きていれば中学生のオミくんの手はどれだけ大きくなっただろう。生まれてくるふたごにもオミくんを会わせてやりたかった。初対面のオミくんはふたごに驚いて、しみじみと見つめることだろう。

そして絹子がしたようにいろんなことをしてふたごを笑わせてくれるだろう。ふたごの「さき」も「たき」も大喜びをして、きっとオミくんを深く愛したことだろう。

「華ちゃんも大きくなるわよ。べっぴんさんだからうーんと大きくなってモデルさんになってファッションショーに出ればいい。おばさん、見に行くから」

「ばか、こんなばあさんにこられたら華ちゃんもいい迷惑さ」
「そうかしら?」
「ああ、そうさ」
「じゃあなたはお留守番してればいいじゃない」
「ばか、いくつもりなのか」
「もちろん」

華子がふきだす。時生と絹子も笑ってしまう。
「ほら、へんなこというからみんなに笑われちゃったじゃないの」
「うるせえ」
とりなすように時生が言葉をはさむ。

「おばさん、純一の手も大きかったですよね。そのくせすごく器用で。プラモとかよく作ってもらったなあ」

「そうね、あの子の手、ちいさいときから大きかったわね。くやしいけどその大きさも器用さも親父ゆずりよ」

「でも、純一の目はおばさん似でしたよ。自分でそういってましたよ、あいつ」
「あら、そうなの。……純一がそんなことを」
志津がうれしそうに言う。その目が輝く。

「時ちゃんはものしりだって純一は言ってたな。自分の知らないこといっぱい知ってるって。あいつ博士になるかもしれないって」 
「ハカセにはなれなかったなあ……」

「そういえばうちにくると、あの柱のそばでよく本読んでたもんね、時ちゃん」
「そうでしたね。あそこは風の通り道でね」

寝そべって本を読むちいさな時生。半ズボンから伸びた足を曲げて揺らす。汗で額に張り付いた前髪を風が撫でていく。そのそばで純一があぐらをかいて零戦のプラモデルを組み立てている。この家にはそんな時間があった。

おとなになった純一さんにも会いたいと思う。大きな手でふたごを抱きあげてほしかった。志津さん似の目を輝かせて時生の子供時代の話を聞かせてやってほしかった。

ガラガラと玄関の引き戸があく音がする。「こんちはー、おそくなりましたー」という声が響いてくる。

「あ、カンさんだ」
 声を聞き分けた華子が顔をあげた。 


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