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一泊二日で萩津和野2
翌日も早起きして津和野へ向かうバスに乗り、山の中を行く。長閑な田園。田植えが終わった若い稲を山が見守る。
そしてたどり着く津和野。山のアウトラインが柔らかい。日本昔ばなしの背景のようなまろやかさ。その前の陸蒸気。デゴイチ。残念ながらこの日は走らない。事情があるらしい。
その駅そばに安野光雅美術館あり。ここに来たかった。
立派だなあ。
お教室が有り、アトリエがある。
子供たちと読んだ旅の絵本。それから始まった安野ファンの足取り。ずっと心に残るかずかずの絵。懐かしい。
こんな子がいたりする。
大きく引き伸ばされた安野さんのポートレートを見ていると、野山を駆け巡るいたずらっ子の笑顔が重なる。おもしろいこと、たのしいことがだいすきさ、なんて声が聞こえてきそうだ。
そこを出ると山に囲まれた古い家並みが見える。
この町にいるといつでも視界の端に山がある。見守っているよ、と言ってるみたいに。
源氏巻きというお菓子を購入する。そこの女将さんが昔「このへんは自動車よりも自転車の方が多いくらい観光客が来てて、貸自転車屋も四軒あったんだけど、今じゃ一軒だけ、だし、旅館もずいぶんなくなったよ」と言っていた。
時は流れブームは去る。このところのコロナもある。観光という産業の足元は簡単に揺らぐ。
旅にもいろいろあるが、ひとは安心して帰るところがあって、そこではないところへ見聞を広げに行く。
余裕なく今日を生きるに精一杯の日々に観光なぞとうてい無縁だ。平日の昼下がり、この町のわびたような静けさの意味がしみてくる。
鯉が泳ぐ堀に沿って歩く。時間がたゆたう。
唐突に現れたこの教会のなかは
畳がひいてあっておどろいた。
鷺舞という踊りがあるそうだ。本家の京都ではとだえたが、ここでは連綿と続いてきているそうだ。ビデオで見た。動きは少ないが、重い装束を付けてゆったりと力を感じさせながら動くさまはなんとも品良く、残像のように心に残る。
この個性的な装束で踊る盆踊りも派手さはないのだが、とても印象に残る動きだった。この町のたいせつにしているものは、どれもしずかに心に迫る。
この時刻表に驚く。山の中に暮らすとはこういうことだ。
こちらは旅を終えると、こことは違う京都での日常が始まる。日々目に飛び込んでくる景色の違いを思う。ひととひとととの距離感もまた違うのだろう。
そう、萩では通りかかる小学生がこんにちは、と声をかけてくれた。見も知らぬ大人に挨拶をする。それが当たり前の距離感なんだろうと思った。
ヒゲブンというお酒を買った。髭の文豪森鴎外にちなんだものらしい。そうだ、津和野は森鴎外のふるさとでもあったのだった。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️