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そんな日の東京アーカイブ 本駒込から根津へ

年賀状の整理をしていて、ゆりこさんの筆跡に目がとまった。

結婚して一ヶ月後に岐阜から東京・文京区のアパートに移り住んだ。その井沢荘の大家さんがゆりこさんだ。こちらから出した、その返信。何枚目の年賀状になるだろう。あいかわらずの達筆だ。

「遠い昔のこと お忘れなく うれしく存じます
わたしも90歳になりました。しあわせにお過ごしください」とある。

昼前、しっかりした日差しがガラス窓からさしこんでいたので、本駒込五丁目のゆりこさんの家へいこうとおもいたった。会ってどうしたいというのではない。会えなかったら、そこいらをぶらぶらとあるくことにしよう。

山手線の駒込駅から六義園まえを通って、富士神社入り口から5-6へむかう。見慣れない町並みが続き、なんとも冷たい風が吹く。それからの年月を考えれば、変わらないわけがない。

井沢荘があったところは、狭い駐車場になっており、ジープと白いセダンが窮屈そうに並んでいた。その隣にゆりこさんの家がある。こんなおうちだったろうか。どうもうまく思い出せないのだが、小さな庭に生える常緑樹はなんとなく覚えている。

夏の午後、その庭に面した窓をあけて、すいかをたべていると「あら、おいしおいし、してるのね」という声が降ってきた。見上げると浴衣姿のゆりこさんがはしごにのぼって、植木の枝払いをしていた。ちょっとこまって「あっ」と声をあげると今度は「ふふふふふ」という静かな笑い声がまいおりてきたのだった。

毎月家賃をも持ってたずねたちいさな引き戸がまだあった。ふるびた表札に墨でかかれた「井沢」という文字が消えかかっていた。インターホンで話すとゆりこさんはここのところの寒さに風邪をひいて具合がわるく、ずっと臥せっているとのことだった。

「だって、わたしはもう90ですもの」と言い切った声は思いのほか大きかった。ささやくように話すひとだったのだが、耳が遠くなったのかもしれない。

「これで最後になるかもしれませんが、おたずねくださってうれしかったわ」といわれると今日たずねたことの意味が、ずしりと重たく感じられてくるのだった。

「暖かくなったら、また来ますから」というと、「ええ、お約束はできませんけど、お会いしたいわ」という答えがかえってきた。

むかいに目をやるとちいさな八百屋さんがみえる。引越してきたばかりのころは、ぽんぽんと飛び交う東京弁になじめなくて、なかなか大根が買えず、ずっとそこに立ち尽くしていた。そうか、こんなにちいさな間口だったのか。

その店は小柄なおばさんがてきぱきと仕切っていた。慣れてくると言葉をかけてくれる。ゆりこさんのこともいろいろきいた。

「ここいらの地主さんの娘さんでねえ、若いときはもうきれいだったのよ。結婚のお相手もきまってたんだけどね。えらい将校さんだったそうよ。
でも、あのひと、胸、やられてね。かわいそうだったわ。おにいさんもおなじ病気でなくなってたからね。なおってもずっとひとりでおかあさんの面倒みてるのよ」

そんな事情だった。

「ひとりぐらしですから、どうなるかわかりませんが、春までにはなんとかなるとおもいますよ。
また、たずねてくださいね」

「はい」と答えながらインターホンにむかって頭をさげていた。

ゆりこさんの家をあとにして本郷通りを歩いた「吉祥寺」はその名におぼえがあったのでたずねてみた。

門をくぐると、冷たい風のなかで若い梅の木の蕾がこころもとなげに、ほころんでいた。花供養の碑があったり、お七吉三比翼塚があったり小ぶりの大仏が鎮座ましましていたり、二宮尊徳の墓碑があったりするので、ひと気のない広い寺で何度も何度もほうほうと感心する。

特に経蔵という建物がいい。曹洞宗のお坊さんたちがお勉強したお寺だから、教科書がしまってあるところである。扉や破風(というのかなあ)にひとや動物が彫られている。そのタッチがいい。好みだな。かわいいな。しかしなあ、もうちょっと大事してくれんものかなあと思ったりする。

幼い頃からお墓参りのお供をしていたせいなのか、お墓のなかの細道でなんとなく落ち着いている。サイロのような、墓にしては大きすぎる円柱形のお墓に御名刺受けというものが備え付けてあるのに気づく。そうかあ、墓参りは家族だけのものではないんだなあ。

さてどこにむかっているかというと、森鴎外記念本郷図書館である。途中、食料品店の前でおじいさんが店のおばさんと話していた。

「今日は風が冷たいから気をつけてね」とおばさんが言うと、おじいさんは鼻をすすりながら「ああー、ありがとな」と答えた。その後ろで芋をふかす湯気が上がっていた。きぬかづきがなんともおいしそうだった。

小学校の図書室に舞い戻ったような懐かしさが湧く図書館だ。リノリュームの床の傷み具合や灯りの加減もそんなふうだ。

展示場には鴎外宛ての年賀状が並んでいた。巌谷小波、長塚節、泉鏡花、夏目漱石、正岡子規、木下杢太郎高浜虚子、吉井勇、斉藤茂吉、田村俊子、北原白秋・・・・・・名高い文豪たちはこんな字で年賀状をしたためていたのだなあ。

それぞれの一枚の年賀状がこんなふうに後世に残っていって、時を経て、名もないおばさんをおおー!と感激させるのだからおもしろい。

団子坂下から不忍通りへ出て根津神社へ向かう。途中の鯛焼き屋さんで長蛇の列を横目で見る。金髪ロン毛を結んだ外人さんも並んでいた。ガイドブックには「根津の鯛焼き」と載っている。

根津神社の鳥居をくぐろうとするとパトカーのサイレンが聞こえてきた。何事か、と振り返るとそのパトカーが神社の前で止まった。

おまわりさんがふたり飛び降りてきてピストルを手で押さえながら走り出した。ええー?と思っていると、おまわりさんたちは公衆便所へむかった。むろんあたしも追っていく。

コンコンとノックの音がして「もしもし、だれかいますか」と声をかけた。返事はない。「こっちじゃないらしい。奥のほうだ」ひとりが駆け足で奥に向かう。もうひとりはパトカーで行く。そこまでは追いかけられないので、気になりつつもお参りをすることにする。

本殿でお参りをして社務所でお守りを売っているおにいさんに「パトカーが来てましたけど、なんかあったんですか?」と聞くと「さあ、べつに・・・。来てましたか。巡回かな。しょっちゅう来てるから」とのんびりとした声で答える。

乙女稲荷の方へいくと今度は自転車に乗ったおまわりさんが現れた。ちょっと緊張気味の声で無線でなにやら話して奥のほうへ走り去った。おまわりさんやパトカーがしょっちゅう来る根津神社、おそるべし!である。

奥の公衆便所が見えて、あれあれと思っていると
そばに止まっていたパトカーが動き出した。サイレンが鳴っていなかったから、事件ではないということだろうか。

その後ろ姿をみていると今度は救急車のサイレンが鳴った。近くの大学病院に向かうらしい。いや、やはり事件だったのか。

そのサイレンが止むと鴉の鳴き声が聞こえた。鳴きながら遠ざかっていった。すると木の葉が揺れる音が耳に届いた。さわさわさわ。木々を渡っていく風が鳴らす。

白衣に紺色のカーディアン姿のナースたち数人が病院から出てきた。その笑い声が葉擦れの音を消した。

ああ、帰ろうと思った。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️