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そんな日のアーカイブ 4 2003年の作家 久世光彦

このかたの講演を聴くのは二度目だった。前にも思ったのだが、このかたが細い声で語りながらその合間にみせる表情は温泉につかって「ほう」と短く溜め息をついている品のよい老婦人を思い起こさせる。

幾山河越えてきた長い長い時の流れのなかで、胸のうちにしまいこんだだれにもいえない思いをほんの少しだけ吐き出すようなそんな風情なのだ。

「体がヨロヨロで」と嘆かれる表情もそんなふうである。その口元があやしく老婦人っぽいのである。

今回は「乱歩と私」というテーマだ。1994,5年雑誌「太陽」で「乱歩特集」があった。その時のキーワードがこんなものであった。・人形愛 ・暗号 ・隠れ蓑願望 ・蜃気楼 ・月光病 ・少年愛 ・偽者 ・胎内願望 ・ピーピング ・サドマゾ

乱歩は大正末期から昭和初期にかけて人間の中の暗い欲望に興味を持ちそういう世界を描いた。フェティシズムを日本の文芸上初めて取り上げ猟奇的耽美的ジャンルを一手に引き受けたというからすごいものだ。

関東大震災から東京大空襲までの時代、それは乱歩の短編の時代でもあったのだが、その頃のものが優れているという。

幼い頃から乱歩に親しんでいた久世さんとは60年の「縁」である。

久世さんが生まれた杉並、阿佐ヶ谷は明治の頃からいろいろな難を逃れてきておりいわば手付かずの区域であった。そのおかげで久世さんは幼い頃から歴史上のひとと同じものを目に耳にし、乱歩の世界も理解が楽だった。

例えば天井裏をあるくなんていう乱歩体験をしたこともあったという。そんな孤独で少々ふうがわりな遊びにひきつけられるのは、怖いもの見たさの感覚だろうか。

それはこわいものがあった時代のことである。白熱灯、60ワットの電灯の時代だった。その暗がりが不安やこわさを生んだ。

乱歩作品は東京が暗かった時代に書かれた。久世少年は物理的な暗がりのなかで乱歩作品を読んでいたのだ。

「蚊帳」というエッセイではこう書いている。


「怖いものがなくなった世の中は、結構なようで、実はそれがいちばん怖いことのように思われるのだ」


その言葉が書かれた「昭和恋々」というエッセイ集は、幼いころの思い出に満ちている。なんという叙情であろうか、と溜め息をつく。

「姉や兄に見つからないように、台所の隅で急いで熱いオムスビを食べるのが、私の朝の愉しみだった。誰か家族が台所へ入ってくると、慌てて母の割烹着の蔭に私は隠れる。ちょうど顔の前に、糊のきいた真っ白な割烹着の結び目がある。後ろ手に結んだにしては、きれいな蝶結びだった。私には、その白い蝶が、母の末っ子への特別な愛の印のように思えた」

鮮やかな情景が目に浮かぶ。目の前の初老の紳士はかつてそんな少年だったのでありそのように育まれながら、彼はこっそりと乱歩を読んでいたのある。

話は尽きなかったが、時間切れとなって、久世さんがさいごのご挨拶をされたころ、隣席のしっかり者という顔立ちのおばあさんがもそもそと動き始め、なにやら書き込みのある紙切れを取り出して握り締めるのが見えた。

なにするのかなと思って見ていると大きな拍手と共に久世氏が舞台袖に入った頃に、そのおばあさんは席をたち、衆目の集まる中、正面から舞台に登り、久世さんを追って舞台袖に潜入してしまった。あれよあれよという間のことであった。

まあまあ、久世さんもおっかけがいてたいへんだわと思っていると仏頂面のおばあさんが帰ってきた。

「お会いできましたか」と聞くと「けちよねえ。会わしてくれないのよ。お話はお伝えしておきます、だってさ」と不満げに答える。

この剣幕では大変なのは係りのひとだったかもしれない。まじめで小心そうな係りのひとを思った。こわいものはまだまだありそうな気もする。 

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Wikipediaより

久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受賞多数。
歌謡曲作詞や脚本家としてのペンネームに市川 睦月(いちかわ むつき)、小谷 夏(こたに なつ)、林 紫乃(はやし しの)など。なお、兄は元参院議員・金融再生委員長を務めた久世公堯。


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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。



読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️