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ぺけのあつまり

もう始まっているけど、3/3まで、東京銀座の奥野ビルにあるギャルリーラーさんでペケのあつまりというグループ展がある。


お誘いがあって、このイベントに参加を決めたのちの1/29に、ペケさんの訃報が舞い込んできた。

身のうちに病を抱えての日々を知っていたから、いつかはそんな日が来るのだと覚悟はしていたが、それでもそれは突然に思えた。そう思うほどに、精力的な活動をSNSで見ていた。

5年前に東京を離れ、今は京都に住むあたしには、その不在は距離が隔てるものと変わらない感じで、ただ会えないだけで、東京にはまだ彼がいるようにも思えたりするのだが、もう彼がいないのは現実だ。

ペケさんが主催の谷中ペケ市に参加し始めたのは2011年だったと思う。朝倉彫塑館近くの恩地原っぱでのこじんまりとした、しかし、きわめてユニークなメンバーが集う市だった。なにしろ主催のペケさんがへんてこだった。既成のものに風穴あけるような心意気のへんてこだった。

いくつかの手づくり市に参加し始めたものの、なんとなくはみ出してしまうような、しっくり来ない感じがあった自分には、みずからペケと名乗り、狩りをするようにアートな才能を追いかけ、集め、イベントを催すこの人物の自由なふるまいは、なぜだか心地よく、ペケ市は楽に息が出来る場所に思えた。

それはちいさな梁山泊のようだった。原っぱにやってくる、未だ世には出ないけれど、その可能性を孕んだアーティストたちに、次々に出会うことができたことは幸いだった。彼等は実に興味深く、なにより彼等それぞれの刺激的でどこか破天荒な雰囲気が楽しくてならなかった。

ペケという名の由来はクロスするということなのだと語っていた。ひととひとのクロス、アートと商業のクロス、そのクロスするところがペケなんだよ、と。


10年前のペケさん@谷中ペケ市

それをそうとは知らない最初、あたしはペケとはマルではないものと捉えていた。つまり正解ではない、と。自らそう名乗ることで、正解でなくてもいいんだよ!と高らかに宣言しているように思えた。そんなひとの作る磁場は息がしやすいところに思えた。

あたしはペケさんに見出された者ではなく、志願してペケ市に参加させてもらったので、才能あるアーティストたちと共に過ごす時間は楽しかったが、どこかでつらくもあった。あたしが作るものにアートという冠は載せられないからだ。

それでも彼等とそこにいたいという思いの方が大きかったし、なによりよりアートに近いものを作りたいと思うようになっていた。

谷中ペケ市から始まり、大股歩きをするようにペケさんは活動の場をどんどん広げて行った。たくさんのギャラリーで個展をし、グループ展を開催していった。それは回遊魚のようにけっして止まらなかった。その後ろ姿を感嘆しながら見ていた。

時にお声がかかりグループ展に参加させてもらうと、そこにもたくさんの才能あふれる作り手さんがいて、そのなかにはこの人に会えてよかったなあと思えるひとたちもいて、ペケさんというジョイントがなければ一生出会うことはないと思えて、そんなふうに世界を広げてもらえたことに感謝するばかりだ。

2年前に、京都でペケさんとあたしの二人展をした。彼から申し出を聞いた時、それは病を得て、生命の端っこを見つめた彼の思い出作りのようにも思えた。残り時間を計りながらの活動なのかと思うと、キリキリと心が痛んだが、それでもまた一緒にイベントが出来ることが嬉しかった。


be-京都さんの前のペケさん

在廊中の長い時間ペケさんと過ごして、いろんな話をした。いわば独り占めの時間だった。たわいのない笑い話から唸りたくなる深い話まで、良い時間をもらった。

夜、ちくりんという居酒屋でも谷中ペケ市時代からのいろんな思い出話をした。ほんとに面白い人がいたねえ、とひとりひとりの名前をあげては笑い合った。含み笑いをしながら「ほらほらアイツ、おぼえてない?」なんて言ってたなあ。

「ひとりはだめだよ、共に進んでいかなくちゃ」ほんの少しの杯を空けながら、ペケさんはそんな言葉も口にしていた。ああ、だから京都まできてくれたのだな、と感謝した。

今連絡のつかないひとがいて、そのひとのことを他人はよく言わないかもしれないけれど、ペケさんにとっては、以前批判の矢面に立たされた時に盾になろうと立ち上がってくれたひとであり、この時の恩義がずっとこころのなかにあるから、誰がなんと言おうと、自分はそのひとを見捨てられないのだ、と語った時の静かな口調は、鮮やかに記憶に残っている。

二人展の撤収のとき、最後の最後に、ペケさんは手伝いに来てくれた息子2の肩をポンとたたいて「おかあさんを頼むよ」と言った。その言葉が息子にどう響いたのか、その直後から、ニートだった息子がハローワークの講座に通い出し、終了後就職した。ペケさんの言葉が後押ししてくれたのだと感謝している。

いろんな場面でお世話になったと思う。ひととひとが繋がる魔法を見せてもらったと思う。「ひとたらし」ってこういうひとのことをいうんだな、と何度も思った。

権威づくでなく、ただ自分の感性で人を見抜く。ペケさんの「いいねえ❗️」は勲章のようだった。

今はもういなくなってしまったペケさん。その不在の大きさにうなだれながら、共に過ごせた時間に感謝するばかりだ。ありがとう。

たくさんのひとと繋がり、輪をひろげていったペケさん。そのお仲間の有志のあつまりの末席に文袋もいる。お別れの会に行けなかったのは残念だが、このイベントに参加することは文袋の自分なりのお弔いでもある。ほんとうにありがとうペケさん。




読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️