見出し画像

またひとつ歳をとった 1

8月25日に生まれた。チキンラーメンと同じ誕生日だ。生まれ年はゴジラと同じ。まあ、長く生きてきたわけだ。

交通事故にも遭わず、殺害もされず、ここまで生きてこられたのは、幸いなことだ。

片足を降り出して、一歩ずつ歩いている両足を一瞬揃えて、ふっと後ろを振り返る日が誕生日かもしれない。あー、ここまできたんだな、と。

で、どうなの?と聞かれたら、どう答えるだろう。

自分の人生しか生きてこなかったから、他の人生のことを深くわからない。横目で見て、勝手に納得するだけだ。だから比べることは賢明なことではないのだけど、それはわかっているけど、やっぱり、あたしの来た道には「欠けたもの」が多かったように思う。

気がつくと両親がえらく年寄りだった。祖父母に育てられていた。実父は早逝し、実母はあたしを置いて再婚したからだ。

そんなスタートライン。それは不幸だったとは思わない。経済的な問題はなかったし、祖父母が両親だと思っていれば、それはその立ち位置で時は過ぎる。

ただ、しばしば暮らしの齟齬が生まれる。よそはよそ、うちはうち、でいいのだが、違いは歴然としていた。何で?と思う回数が次第に増えていく。時代が劇的に変化していくなかで、明治生まれの祖父母の価値観は古臭く、カッコ悪かった。みんなと違うことが恥ずかしいと思う年代の頃が一番キツかった。

うちはみんなと違う。それを納得する小学生の自分。遠回しになにかしらを告げてくる親戚の人や、近所のおばさんの言葉が謎を深めた。

しかし深く考えなかった。その先に沼があるような予感が思案の続きを止めた。

そうこうするうちに、病気になる。3ヶ月の入院を余儀なくされる。院内学級がなかったら、小学生で落第していたところだった。

当時、小学生四年生の三学期は分数の割り算を習う時期だった。それをうまく理解せず退院した。数学は積み重なっていくお勉強だから、欠けた知識のところで、いつも躓き、不正解が続いて、苦手意識ばかりが大きくなっていった。

その上、退院後は運動制限があったので、体育はいつも、見学だった。運動会は窓枠の向こうの出来事だった。みんなといっしょに取り組む苦労と達成感の外側にいた。

逢坂えみこさんが描かれた「永遠の野原」というコミックに、太ったおばあさんが犬の散歩をするシーンがあった。

犬はおばあさんの歩きのペースに合わせて公園へ向かう。そこでおばあさんがリードを外したとたん、犬は猛ダッシュして駆け回る。ブッシュのなかに顔を突っ込んだりもする。爆発する自由時間が終わると、犬はまた繋がれて、おばあさんのペースでゆっくり歩く。

老いた祖父母と過ごす時間は、この犬の散歩のようだった。今、自分がその頃の彼らの年代になってみればわかるのだが、若い子の爆発する自由時間に付き合うのは体力的に無理だ。危険がないようにするのが、精一杯だろうと思う。

病気もあったが、犬がおばあさんに忖度したように、あたしも祖父母のペースで暮らしていた。お休みにおでかけなんかしない家の子だった。子供がその時代に楽しんでおくことが、欠けていた。しかし、それは仕方のないことだとも思っていた。

幼い頃から欠けた自分を意識していると、引っ込み思案になる。みんなと違うところが滲み出そうで、積極的に前に出るのが恥ずかしくなる。誰かの後ろ姿に安心するようになる。

つづく。


読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️