150cm未満の恋

3
 これから行く店は、おじさんの行きつけのダイニングバー『ルーン』。おれは、そこの日替わりアイスクリームが好きで、おじさんに誘われればだいたいついていくようにしてる。おじさんの目的は料理やお酒の他に何かありそうだけど。まだ時間は夜の8時。おじさんはおれと来たいがために、仕事とか家事とか急いで片付けてるんだって。おれも似たようなもんだな。やることはちゃんとやってるから、ちょっとしたことは許してほしいよね。

 ルーンに到着して、おじさんが扉を開けた。
「こんばんはー」
「いらっしゃい、真人」
カウンターからオーナーの百合さんが挨拶してくれた。
「智也もいらっしゃい」
「こんばんは」
中に2歩踏み込んだところで、小さな影がトコトコ近づいてくるのが見えた。
「ともやくん!こんばんは!」
「こんばんは、ひなちゃん」
にっこり笑っておれの顔を見上げると、ひなちゃんはガッシリおれの手をつかんで、店の奥へと引っ張っていった。
「おう!誰だ!俺のかわいいお姫様の眠りを覚ましたガキんちょ王子は!」
「もー、パパうるさ〜い」
「お前にパパと呼ばれる筋合いは無い‼︎」
「グウェ〜、苦し〜」
ソファのあるテーブル席で、騒いで首を絞めてる方がひなちゃんのお父さんの小熊一輝さん、絞められながら楽しそうなのが大矢雅之さん。2人とももう酔っ払ってる。
「お父さんたちは絡んでこないの。ひなちゃん、智也、こっちおいで。デザート出してあげる」
百合さんに呼ばれてカウンター席に着いた。
「今日のアイスは、チョコと抹茶とお芋さん味の3種類ね」
絶対おいしいやつ。おれはひなちゃんと2人並んでアイスのプレートをつっついた。ドリンクはホットココアで。反対の隣りからおじさんが「ひと口ひと口」とへらへら笑いながら、ちょっとずつアイスを横取りしていった。お会計はおじさんがするから、別にもっと食べたら良いのに。
 ちょっとしたら、新しいお客さんが2人入ってきた。若いお姉さんたちだ。
「ゆり姉、来たよー」
「こんばんはー」
「いらっしゃい、明日香、凛」
お姉さんたちがおれたちに気付いて近づいてきた。おじさんは鞄からコンサートのチケットを取り出して、腕いっぱい伸ばして頭を下げて、2人に差し出した。
「お願いしまーす‼︎‼︎」
「買わせていただきまーす‼︎‼︎」
「まいどありー‼︎」
この2人はおじさんたちのバンドのファン。よくいっしょにコンサートに行ってるんだ。明日香さんは百合さんのいとこだそうで、恋より仕事って感じが似てるかも。もう1人は凛さん。どう見てもおじさんは、この凛さんのことが好きそう。なのに、付き合ってはいないんだって。なんで?

 ひなちゃんは一輝さんの隣りに戻ってすやすや眠り、明日香さんと凛さんは別のテーブルでおしゃべり、おじさんはトイレで席を外してた。チャンスだと思って、おれは思い切って百合さんに話しかけてみた。
「あの、百合さん。百合さんは、その…、どんな人が好きですか」
一瞬目を見開いて手が止まった百合さんだったけど、察してくれて、ちゃんと答えてくれた。
「そうね…、私ならキラキラしてる人が良いなーって思うかな」
「キラキラ?」
「うん。誰かを好きになるのって、その人のことよく知ってからってときもあるけど、一目惚れとか突然好きになるときもあるのね。そういうとき、その人のことが他の人と違ってキラキラしてるように見えるの。素敵だなって、心が惹かれ始める最初のきっかけみたいな。恋ってね、いろいろ考えてから始めるよりも、直感で『この人』って選ぶ方が良いのかもしれないのよねー。ま、こんなオバさんの意見なんてまだ参考にならないでしょ?」
「そんなことないです」
おれは真面目に首を横に振った。キラキラか…。
「そう?あと、すっごく単純だけど、かっこいいことする人を好きになっちゃうかな」
ふふっと笑って言葉を続けようとしたけど、おれの背後を見て、百合さんは声を出さずに「ごめん」とつぶやいた。振り返ると、トイレから戻ってきたおじさんが酷い顔をして突っ立ってた。
「智也、お前…、何を百合さんと恋バナしてんだ。好きになっちゃったのかー‼︎このオマセさん‼︎」
ちゃんと石鹸で洗ってきたか知らないけど、両手でおれのほっぺをぐりぐりしながら、おじさんは騒ぎ出した。
「ちがうってば」
ぐりぐりするからうまくしゃべれない。
「あんだと智也ー!俺の恋敵になろーってのかぁ‼︎‼︎」
「ついでに俺も〜!」
「だからちがうって」
来なくていいよ、一輝さんと雅之さんは。
「お前は俺の息子になるんだろーが!ひなたのことは遊びだってのかぁ‼︎」
一輝さんまでおれの頭をぐりぐりし始めた。
「ひなちゃんはまだ4歳じゃないですか。恋とかそんなんじゃ」
「おんまえだって小5のガキんちょじゃねーか!大人の女性に恋するなんたぁ、100億年早ぇ‼︎‼︎」
そんな大声出すと、他の人にも聞こえちゃうじゃん。ほらー…。
「なになに⁉︎智也、あんた好きな人できたの⁉︎」
「しかも大人⁉︎イヤー‼︎」
明日香さんと凛さんまで寄って来ちゃった。
「ちょっと、やめてやりなよ。別に人を好きになることは恥ずかしいことじゃないし、悪いことでもないんだから」
百合さんは止めてくれるけど、この人たちはショックが大きいのか落ち着いてくれない。
「誰よ!あんたの初恋の相手って!大人って!吐きな!」
ステンドグラス細工がきれいなテーブルランプの光を、取り調べみたいにおれの顔に当てて明日香さんが迫ってきた。
「明日香やりすぎ」
「百合さんの気持ちもわかるけど、こんなおもしろいのほっとけないですよ」
いや、ほっといてくださいよ凛さん。目を細めながら仕方なく、おれは正直に話し出した。
「最近好きかもって思う人ができたけど、学校の人だよ」
ちゃんと話したのに、みんな口をあんぐり開けてフリーズしてる。
「同級生の子でしょ?私もこのくらいの歳だったな、初恋。隣のクラスの子でね」
「百合ちゃんちょっと待って。その話もすごーく興味あるけど、それどころじゃない」
よくある話みたいに誤魔化そうとしてくれた百合さんを、雅之さんがおれをじっと見ながらわかった風に遮った。
「智也は嘘をつく子じゃない。不利になることをはっきり言う子でもない。好きな人がいるのは認めた。けど、大人ってことは否定してない。ってことは…、いや〜、俺にも経験あるけど、この初恋は苦しいぞ」
「がんばがんばっ」て言いながら頭を撫でてくれるけど、雅之さん、おもしろがってますよね。
「急に似合ってないのに『おれ』って言い始めたのは、大人っぽさの演出だったのね。でも20の差は縮まんないわよ」
「いいじゃん、健気でかわいくて。でも、まさかのまさかだよね」
そんなニヤニヤジロジロ見ないでほしい。
 すると突然、ずっと黙って目を走らせて何か思い出そうとしてたおじさんがハッとした。
「ハッ‼︎あの先生か‼︎‼︎」

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