2 エメ

 彼は痛む足で走り、誰もいない公園にたどり着いた。パンを咥えたままで。
「ンンッ…」
 開いた扉に驚いて跳んだ時に、誤って、自分で自分の足を踏み、爪で引っ掻いてしまっていたのだ。少し落ち着いてきた今、血が流れていることに、ようやく気が付いた。モフモフの言う通り、彼はケガをしていたのだった。
 あいつは一体何だったんだろうと思いつつ、ベンチの下へ潜り込む。パンを下ろして、傷口を舐めた。すると。

「痛いの痛いの、飛んでいけぇ〜」

 聞き覚えのある声がした。「はぁ!?」と急いでベンチの下から首を伸ばして上を見上げると、これまた見覚えのあるニヤニヤ顔が、すぐそこにあった。
「ごちそう恵んでもらっていおいて、無愛想なの、良くないぞ」
「…、うるさい」
彼はベンチの下へ戻っていった。
「お前に邪魔されなきゃ、誰の世話にもならなかった」
そして、本当は「ありがとう」と思いつつ、パンを食べ始めた。
 ベンチの上から垂らされたフサフサの尻尾が、フランフランと揺れているのが視界に入る。気になる。
「こっち来て食えよ」
声と共に、手招きならぬ、尻尾招きをされる。
「ヤダ」
「かわいくね〜な」
かわいくなくて結構だ、と思う。無視だ、無視。
「そんな態度だと、せっかくの美人が台無しだぞぉ〜」
これには、プツンと切れる感じがした。
 ガサガサッとベンチの下から這い出して、くるりと方向転換すると、彼は怒鳴った。
「お前、どういうつもりで、そんなこと言うんだ。オレにかまうな!あっち行け!」
 そう言われても、モフモフ猫には少しも心に刺さらないらしく、余裕ありげに伏せて、変わらない笑みを浮かべていた。
「イーヤーだーね」
またプツン。
「フシャーーーッ!!」
 モフモフは、マイペースにゆったり起き上がりながら、ぼそっと言う。
「何もかも噂どおりってわけか」
 彼は威嚇を続ける。とにかくモフモフを、ここから追い出したくて。
「シャーッ」
「なぁ、そんな怖がんなよ。オレはお前と友達になりたいだけなんだぜ?」
「怖がってなんかない!それに友達もいらない!」
「そうか?…まぁ、そうか。友達がいる良さを、お前は知らないんだもんな。そう思うか」
ニヤッと笑って、モフモフは鼻先を上げると、悠々と彼を見下して言った。

「なぁ、“四つ耳”のエメ」

エメラルドの瞳が一瞬丸くなる。しかし、すぐに鋭い目に戻った。

『何あれ』
『気持ち悪い』
『こっち見てる。怖い』
『来ないで』
『バケモノ』

「怖くなんかない、お前なんか!」
オレは。
「友達なんかいらない!オレはひとりでいたいんだ!」
いなきゃいけないんだ。
「オレをからかって、貶しに来たんだろ。気分良いか。高いところから見下して、ニヤニヤしやがって」
お前らなんか、嫌いだ。
「何が友達だ。普通のお前らを信じるほど、オレはバカじゃない」
ただ、お前らより耳が多いだけなのに。
「ここはオレの縄張りだ!出ていけ、よそ者!!」
誰も、オレの気持ちなんか知らない。
「オレに構うな!!!!」
 でもどうして、オレ、こんなにしゃべってるんだろう。

 エメの言葉を、目を閉じて聞いていたモフモフ。やっと終わったか、という表情で口を開いた。
「オレが、“普通”だって?」
右に傾けた首を、左へ傾ける。
「ちょっとは他人に興味を持ったらどうだ?わかったような口を聞くお前に、自己紹介してやるよ、エメ。…遅れて、悪かったな」
 モフモフがお尻を少し浮かせる。それを見てエメは、攻撃的な姿勢から、身構えようとして、半歩下がった。
 尻尾を左右にフリフリ。顔を空に向け、モフモフが行方を示す。
「よく見てろよ、エメ!」
戸惑うエメはもう一歩下がる。
 そしてモフモフは、ありったけの高さを目指して、その大きな身体をダンッと跳び上がらせた。ピークに達した彼は背中を丸めて、街灯の明かりにシルエットを映し出す。
 揺れるエメの瞳が捉えたのは、驚きの姿だった。
「何だよ…、それ」
 スタンと着地し、衝撃を受けて動けなくなってしまったエメに顔を近づけ、ニッと笑ってモフモフは言った。
「オレは世にも珍しい、“翼を持った猫”ディア様だッ。よろしくな!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?