3 エメ

 ディアは、ベンチの下に転がったままのパンを咥えて、ベンチの上に戻った。
「来いよ、エメ」
 運んでもらったパンのところに、エメはジャンプした。
「痛っ」
衝撃で傷口が痛んだ。
「後で手当してもらおうな」
 傷は痛むし、パンは食べかけだが、エメにはこっちの方が気になる。前脚をディアの背中に伸ばし、翼の下に差し込むと、くい、くいと押し上げて、上下した。
「お前、飛べるのか?」
「いや、飛べない。残念ながらな」
「変なの」
「お前もだろ。ほら、残り食えよ」
 エメはムッと目を細めてから、言うとおりにパンを齧りだした。警戒心が解けたエメを見て、ディアはニヤッとし、自分のことを話し始める。
「オレのこの羽な、ただ背中の皮が伸びてるだけなんだよ。動かせなくて、普段は垂れてるから、飾りにしかならねぇの。飛べない猫は、ただの猫ってな〜」
「ふーん」
もぐもぐ食べるエメ。
「興味無さそうだな」
「そんなことねーよ。あるある」
「2回言うやつは、大概ウソだ」
「ひひっ」
やっと笑ってくれたエメ。
「オレの母さんも父さんも他の兄弟も、こんなふうに皮膚は垂れてなかった。オレだけに羽が生えてたんだ。
 オレたち家族の面倒を見てくれてる人間は、オレを見て、難しい顔をよくしてた。かわいがってはくれてたけどな。
 何でだろうな〜って不思議に思ってたら、母さんに、“大きくなったら、ここから出ていきなさい”って言われたんだ。“兄弟たちは、新しい家族のところに行くけれど、あなたはわからないから”って。
 どうやら母さんは、前もオレみたいな見た目が他の子と違う子を産んでたらしいんだ。会ったことねぇけど、オレの姉ちゃんだそうな。その子がどうなったか…。今となっては知る由もないが、想像がつく。“おかしい”を、多くの人間が認めない現実が引き起こした悲劇があったんだろう。オレは逃げることで、守られた」
エメを見やった。
「お前はどうだ?エメ。家族のこと、覚えてるか?」
「母さんと兄弟はな。オレたちは、ディアみたいに、人間の家では暮らしてなかった。耳が多いのはオレだけで、よく兄弟たちにからかわれてて。耳を齧って、引っ張られてた。母さんが止めてくれなきゃ、ずっとだぞ。うんざりだった」
ディアは、小さい頃のエメを想像して、クスッと笑った。
「笑うな!」
「悪い。で、大人になったから、親元を離れて、今は独りで暮らしてるってわけか」
「フツーだろ」
「あぁ、まぁな」
 普通とはいえ、エメの警戒心が物語るように、彼にしか感じ得ないことが起きていると、ディアにはわかる気がした。だからこそ、ディアはエメと仲良くなりたい。
「食べたな。エメ、痛むだろうが、オレについてこい。ケガが早く治るように、知り合いに看てもらうぞ」
「知り合い?」
「人間の」
「は!?ヤダよ!」
驚きと怯えが見える。
「美人だぜ?」
「知るかよ!そんなの!」
何か良い口説き文句が無いか、くるっと視線をアーチに描くディア。
「その人と暮らしてる猫も美人だ」
「…」
「何だよ」
エメは見透かすようにディアを見つめる。
「…別に」
「なら行くぞ。健康第一に生きなきゃな!頼れるものには、とことん頼って、長生きするぞ、オレたちは」
 ストンッとベンチから降りて、ディアは振り返った。
「エメ、来い!」
ニッと笑って誘った。
 四つの耳がきゅるんと立つ。すぐにふっと緩んで。
「わかったよ」
と答える。トンッと、ディアの後に続いて跳び降りた。
(呼びすぎだ…)
文句のようで、そうじゃない、初めての気持ちがエメの心に芽生えていた。

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