歌会始の或る一首

「宮中の正月行事」と聞くと,大昔に行われ,現在はもう行われていない行事のように思われるかもしれない。

だが,令和に改められた現在においても,宮中で行われている「歌会始」。

毎年,お題に基づいた和歌(短歌)が国内外から寄せられ,入選者は皇居正殿に招かれ,天皇陛下の御前で古式に則って歌が吟詠される。


この「歌会始」を毎年テレビで観るのが好き。

今でも「宮中行事」が行われ,それをテレビを通して観ることができているという事実!

そして,古式に則って一首一首詠み上げられるのがなんともかっこよく,痺れる。

(「NHKプラス」で観ることができる。要登録。https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022011803289


この歌会始,中高生など,かなり若い人の歌も詠まれるのも見どころだ。

今年(令和4年)の最年少は,16歳の高校1年生。

窓の外見たつて答へはわからない少し心が自由になれる(新潟県 難波來士)

(「「歌会始の儀」最年少で入選 新潟県の高校生の歌も披露」 https://news.yahoo.co.jp/articles/ae9c008739d62569776999a5e51b16f901a5dd5e

ちなみに史上最年少は,平成30年の中学1年生=12歳であった。


今年の入選歌で「これは!!」と思ったものがある。

ベランダに鯉幟ゆれる窓を指し君は津波の高さ教へる(茨城県 芳山三喜雄)

(・・・内容には関係ないが,この歌会では入選者の名前は,氏名のあいだに「の」を入れて読まれる。小野妹子や藤原道長のように,「小野の妹子」「藤原の道長」などと。これも面白い。)

「鯉幟」という”子ども”を連想し,楽しさや幸福感をイメージさせる季語に始まり,下の句に「津波」という暗く辛い"現実”が続く。

「ベランダの鯉幟」という”日常”の具体物を参照点とし,子ども世代からすれば”非日常”の過去を,もっと言えば,実際に経験した世代にとっても既に”非日常”になりつつある,あの津波の悲劇を紐付ける。

「津波の高さ」という”非日常の過去”を,「ベランダの鯉幟」という言葉によって強引に,そして残酷にも”日常”に引き摺り戻す。

意図されたものかは分からないが,ベランダの高さまで街が水底に沈んだ当時の情景の中に,「鯉」が泳いでいる姿が浮かんでくる。


この歌について,番組では以下のナレーションが入る。

東日本大震災について感じる負い目を歌にしました。震災当日,芳山さんは海外出張中で,被災を免れましたが,宮城県に暮らす親戚を津波で失いました。震災から5,6年が経ち,記憶が少し遠退いた頃のことです。つくば市から東京に向かう電車から,アパートの窓辺に揺れる鯉のぼりが見えました。芳山さんには春の幸せな光景に見えました。しかし,偶然乗り合わせた親子連れは言いました。――「あのあたりまで津波が来たよね。」――震災を経験した人とそうでない自分とは,日常が違って見えている。そのことに衝撃を受けた思い出を歌にしました。

「震災を経験した人とそうでない自分とは,日常が違って見えている」――「経験していない人」側の視点で詠んだ芳山さんの故郷に対する深い想いが読み取れる。

親戚を震災で失ってしまっているにも拘らず,津波に飲まれた街の姿が見えず,「春の幸せな光景に見え」ている自分。

「海外出張」によって故郷の周縁に追いやられ,”故郷の記憶”を共有できない自分。そのことからくる,「負い目」に苛まれた芳山さんの”祈り”が,この歌に込められているのだろう。


過去の歌会始の歌が一覧になっています。

宮内庁 https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html#odai-03

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?