藤くんの結婚を祝福しながらも面白いほど動揺した、いちリスナーの話

「ヘタな心理療法よりも、BUMP OF CHICKEN聴いた方が、よっぽど効果あるよね」。

私は、カウンセリングを生業としている。一応、専門的に学び、資格を取り、しかるべき職場で働いている。
そんな私も、上記の言葉を何度口にしたかわからない。また、特につながりのない医療・心理業界の方が、そのような呟きをしているのを見たのも、一度や二度じゃ、ない。

それぐらい、BUMP OF CHICKENには、カウンセリングマインドが、あると感じる。

曲の中では、いろいろな感情が描かれている。ポジティブなものだけではない。弱さ。醜さ。自分への、他人への嫌悪感。身に覚えのある感情。
彼等の曲は、そういったものを否定しない。聴く人の鏡のように、映してくれる。そして、聴く人が、自分に気付き、赦し、他ならぬ自分の力で歩き出すのを見守ってくれる。そんな曲達だ。
だからこそ、「BUMPは特別」と表現するリスナーが、多いのだと思う。

私も、彼等の曲があったから、生きる事を止めずに、ここまで来られた一人。
出逢いは、ちょうど、心理職として歩き始めた頃。
私がこの仕事を選んだのは、不登校歴、非行の方に行きかけた歴があり、でも、ちょっとした支えがあれば、自分なりに歩んでいけるということを体験したから。もちろん、「人を助けよう」なんて、大それた事は思ってはいない。けれど、あの頃の私のように、誰かの何かで救われる人もいるのだ。
しかし、誰かの何かになるのは、簡単ではなかった。他者を理解し、寄り添おうとすると、自分自身の過去の体験、心の傷が、むくむくと蘇る。再婚家庭に生まれ、母の心身が弱く、早期自立を迫られたせいで、私は、一見何でも一人でこなす、しっかり者だけれど、素直に甘える事、他者に頼る事が、極端に苦手になっていた。自分を嫌い、親を恨み、文字通り、泣いてばかりの毎日だった。
そんな折、偶然耳にした、BUMP OF CHICKENのメジャーデビュー曲、『ダイヤモンド』。
そこから、BUMPと私は、並んで歩き始めた。

最初の2年間は、ひたすら、リリースされた曲を聴いた。もともと音楽は好きで、沢山の曲を聴いてきたけれど、そのどれとも重ならない。いわゆる「捨て曲」もない。一曲一曲が、一語一語が、しっくりくる。痛みも孤独も、私を代弁してくれているようだった。
そうなると、曲を作っている人に、興味を持ち始める。
BUMPの作詞作曲を担っているのは、藤原基央、という人(一部例外あり)。
なかなかメディアに登場せず、公式HPなどもあまり動きがなかったが、彼等が掲載されている雑誌を読んだり、近くでライブがあると、足を運ぶようになった。それが2003年頃。

知れば知るほど、私は、藤原基央という人に、強く惹かれるようになった。
痩せっぽっちで、尖ってて、簡単に触れられない雰囲気。インタビューで見せる賢さと信念。でも、メンバーとの会話では、暗いどころか、めちゃめちゃユーモアがあり、心底楽しそうな笑顔を見せる。
私はこの人が好きだ。はっきり自覚した、2004年頃。

バンド自体が続いていくのか、不安を感じる時期もあったけれど、2006、7年頃には、不安は払拭されてきた。
曲も、少しずつ変化してきたと感じる。初期の、徹底的に自分と向き合う曲から、他者への関わりの曲へ。でも、それは、私のテーマが変化し、彼等の曲に、その時の自分を投影してきたから、そう感じるだけかもしれない。行きつ戻りつではあったが、私は、自分を嫌い親を憎み、ネガティブな感情に駆られている時期は過ぎ、そんな自分で、どう他者と関わっていくか、という事を考えるようになっていた。

それからも、様々な迷いや挫折があった。
30歳を過ぎると、親しい友人とも、生き方が分かれていく。家庭を持ち、子育てをする友達も増えてくる。
私は、そこには、いけなかった。
私は、とても複雑な家庭に生まれている。再婚家庭であるが、父は里子に出されており、親に育てられていない。母方も、再婚家庭の、いわゆるステップファミリー。親類はいるにはいるが、私は誰と血が繋がっているのか、今でも把握していない。
加えて、子宮筋腫を患った。幼少期から身体が弱く、他にも持病がある。子どもを産むことも、きちんとそだてることも、私にはどうも、難しそうなこと。
私は異性愛者で、幾つかの恋愛はしたが、自分の全てをさらけ出し、それでもずっと一緒にいたい、と思う相手には、出会えなかった。
さらけ出して、離れていかれるのが、怖かったというのもあるけれど。さらけ出せないから、双方が辛くなり、終わりを迎えてしまう。当然の話。

それでも、私には、BUMP OF CHICKENがいた。
いつだって、彼等の曲はそばにあり、私は自分の心を映し、納得してまた進む。時に後戻りしながらも、進む。
必死で働いて、彼等のライブとなれば、行けるだけ行って。世間一般からは外れた行動様式かもしれない。でも、それでもよかった。自分のことは、自分しか解らない。家庭を持ち、子育てすることが、全てではない。だって私は、このために生きている!!と思える、最高の瞬間を知っている。幸せなんて、永遠じゃない。この一瞬一瞬の強い光が、その後の道を照らすのだ。
曲だけではなく、BUMPのメンバー4人の姿からも、私は「それでいいよ」と思わせてもらっていた。彼等は、現実には、「家族」ではなく「他人」のはずだ。でも、互いを思う心と、意志があれば、他人とだって、ここまで深く結ぶことができるのだ。あくまで私の感じたことだけれど。

そうやって、20年間歩んできて、迎えた2020年8月24日早朝。
藤くんの結婚発表。

感情は目まぐるしく動き、これ、と定まらない。
私は、藤くんの作る曲があったから、生きて来られた。藤くんは私にとって欠かせない、大切な存在。その人が自分で決めた道を、祝福しないはずはない。おめでとうに、嘘はない。
ただ、問題は、それ以外の感情もある、ということ。
解ってる。本当に身勝手な話。出逢ってから今までの間、藤くんが一つの恋愛もしてこなかったはずはない(推測)。私だってしたよ。
そんなこんなもありながら、周りを大切にし、必要としてくれる人に届ける作業を、一緒にしてきたつもりでいたんだ。
これからも、そうやって、終わりまで生きていくつもりだったから。

変わる事は悪い事ではない。日々、身体は衰えていくし、世の中も一定ではないし。当たり前の事。
藤くんから生まれる唄も、これまでと同じように、根っこは変わらなくても、新たな感覚が、散りばめられていくでしょう。
私は、それを、どう感じるだろう。

「もう違うと思うなら、離れればいいじゃない」。
そういう意見もあるだろう。まあ、これが本当にカウンセラーとクライアントの関係なら、通うのを止めるよ。(そもそも、カウンセラーなら、みだりに自分の事を明かしたりはしない。日常生活には入り込まないのが基本。)
でも、もう、これまでの曲も、藤くんやメンバーから感じてきたことも、血肉化しちゃってて。自分とは切り離せないから。
これからが、怖い、けど、自分と藤くんをBUMPを切り離す方が、ずっとずっと怖いよ。
やっぱり、これからも、一緒に生きていきたいと思います。BUMP OF CHICKENと。

長々と書いてしまいました。もし、これを全部よんでくださった方がいるなら、心からお礼を言います。ありがとうございます。
もし、心理職の方が読んでくださったりしたら、ごめんなさい。私にとって、仕事とBUMPは繋がっているので。いち個人の雑感として捉えてもらったら、ありがたいです。

書いてよかったな。
だって今、大文字でこれを書きたくなったぐらいだから。

藤くん、ご結婚、おめでとうございます。
これからも、メンバーと共に、音を届けてくださいね。
すぐに自分の曲になるものもあれば、仲良くなるのに時間がかかる曲があるかもしれない。でもそれは、これまでだって同じ。いつも、曲はそばにあるから、その時がきたら、「あ、」って、気付きます。その自信だけはあるから。
こんなリスナーですが、これからも、よろしくお願いいたします!