やった方とやられた方。

せっかくの週末(といっても、土曜は仕事に出ていたけれど)を、ずっしり重い気持ちで過ごすことになりました。

昨日、元職場の先輩から、突然のメールが。
内容は、私が在職していた時から、職場の相談役的な立場で、指導に来てくれていた大先輩が、退任されるので、皆で送る会をしようというもの。
OBや、異動で離れた職員も参加するので、あなたもぜひ、というお誘い。

心が固くなった。

私は、数年前に、「安定した終身雇用の組織」を、わざわざ退職しています。
わざわざ、退職するには、それ相応の理由があったわけで。
簡単に言うと、過労とパワハラでした。

大学で心理学を専攻し、就職してからも、心理職としてやってきた。そこには、確たる思いがありました。ここにも時々登場する、身近な人の死。自分自身の生きづらさ、不登校等の経験。誰かを助けられるなんて、おこがましいことは思っちゃいない。ただ、ほんの少しの支えがあれば、変わることがあるから、
そういった仕事をしたかった。
ありがたいことに、させてもらっていた。

それが、辞令ひとつで、全く望んでもいなかった管理職になってから、歯車は急速に狂い始めました。
ある日突然、心理職が剥奪された。それだけでも、私にとっては、大きな心の傷になったのに、
昨日まで同じ立場だった同僚に、指示をしたり、文章のチェックをしたり。お互いとても、やりづらい。
また、職場自体は24時間体制のため、自分が休みでも、管理職となれば、部下から常時連絡が入る。緊急時には、夜間休日問わず、すぐ駆け付けなくてはならない。

私は、高齢の父の面倒をみるために、実家に戻っているのだけれど、晩御飯を作っている最中に呼び出され、「ごめん」と言いおいて職場に行くこともあった。
家の事がどんどん疎かになり、父と喧嘩が絶えず、少ない親類とも疎遠になった。
趣味の映画も見れず、ライブにも行けず。どうしても行きたいアーティストのライブには、行ったこともあるけれど、ポケットの携帯電話が気になって気になって、ちっとも楽しくない。
常に電話を気にして、睡眠にも障害が出てきた。今日は大丈夫だろう、ゆっくり眠りたい、そう思い、睡眠導入剤を飲んで眠っていても、呼び出し。

私なりに考えて対応していた。部下も自分も、休める時は休めるように。翌日でかまわないものは、翌日に回すように。
しかし、そのスタンスは、当時のスタンダードではなく、根性論を有する職員の攻撃対象となった。「仕事をしない」「対応が遅い」「介護を理由にして休んでいる」。
数名が言いあげる→トップに呼び出され、叱責を受ける日々。晩御飯を家で食べられるのは、週に一回程度。次第に体が変調をきたし、度々嘔吐するようになった。生理も不順になり、いつ来るか分からなくなった。

そして、職場で倒れ、病気休暇取得。
1ヶ月は寝たきり。
少し動けるようになり、トップとの話合いが始まる。「私に管理職は務まらない。どうか、ヒラの心理職に戻してほしい」と訴えたけれど、「異動のある職場で、やりたい事だけをやろうとするのは、我儘」という見解。
悔しかった。誰よりも信念を持って仕事をしていたのに。
高校の頃からそれを目指し、(マジメに、とは言えないが)勉学に励み、希望の職に就いたのに。それを続けたい、その思いは、我儘なのか?

…結局、話合いは不調に終わり、私は退職をした。
今は、現場を移し、やりたい仕事がやれている。収入はダウンしたし、安定した身分ではないけれど、私は私のいちばん大切なものを守ったと、思っている。

そんなこんなで、退職に至るあれこれは、今でも癒えることのない心の傷になっています。実際は、ここには書けないような仕打ちもされており、思い出すだけで、体に力が入ります。
なのに。転職したといっても、狭い世界なので、当時の同僚に会うことがあるのですが、皆さん普通に話しかけてくる。
今回のメールもそう。
ま、そういうもの、ですよね。いじめとか、パワハラとか。加害側は、そこまで深く考えてはいない。相手の心を考える人ならば、そもそもしないわけで。その時に、満たされればいい。
一方で、やられた側の傷は癒えない。そこから逃れても、本当に忘れきる日は来なくて、何か刺激があると、痛みはいとも簡単に蘇る。
一生の傷。

やった方とやられた方の思いの違いを、まざまざと感じた出来事でした。

長い文を読んでいただき、ありがとうございます。
自分の心の整理をして、明日からはまた、誰かを受けとめて寄り添っていきますね。

昨日の空。