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大きな声で、りんりんと。

はろーどうも、ぱやです。

今日は弾き語りについてのお話。

世の中における弾き語りのイメージって
ひとことで言うと
「バンドの劣化版」らしい。※ぱや調べ

(↑そもそもが弾き語りを前提に
作られている曲は別として)

ちなみに僕も前まで同じことを思ってた。
大好きな曲だったとしても
バンドスタイルで聴きたいわけであって
ボーカルひとりがアコギ持って
出てきてもバンドには負けるわ〜と。

僕はバンドを組むことに
強い憧れを持っていたし、
それが最高にかっこいいと思っていた。
弾き語りなんて個人練習のひとつぐらい
としか思ってなかったんだよね。
聴いている人もそう思ってるんだろうな〜と。

ところがどっこい、
最近弾き語りを多くやるようになって、
逆に人がやっているのを聴くようになって、
気付いたことがある。

それは、聴いていて
歌詞がすごく入ってくるということと、
その曲の再発見に繋がるということ。


例えば、
BUMP OF CHICKENのガラスのブルース。

普段イヤホン越しに聴いているとき。
たぶん、ライブを思い返しながら
聴く人が多いよね。

ライブでバンドスタイルで聴いているとき。
言わずもがな最高にぶち上がるよね。

ではここで振り返ってみる。
そうやって聴いている時に、
ガラスのブルースという曲のストーリーや
歌詞と自分の経験とのリンク、
そこに込められたであろう思いについて
類推したり、考察したり…

往年の名曲故にそういう聴き方を
今からしている人は
きっと少ないのではないだろうか。

一方で弾き語りでガラスのブルースをやると
どういうことが起きるか。

こんな時期だからって意図ではないし、
わざわざ詳しくは言わないけど、
ある時、藤くんがラジオでガラスのブルースを
アコギで弾き語りでやったことがある。
尚、すでにその時には往年の名曲だった。

(たぶんYouTubeで検索したら出てくるかも。)

凄まじかったよ。
何回も聴いた唄なのに、
自分なんて当事者でもなんでもないのに、
泣く資格なんてないのにさ、
ボロボロ泣いたよ。
唄の本質そのものを
頭に直接叩き込まれる感覚がした。
ガラスのブルースって
こんな唄だったんだ…ってね。

当時はなんでそんなに
刺さったのかわからなかった。
なんか藤くんが凄かったんだろう
ぐらいにしか思っていなかった。

頑張ってその理由を今さら考察してみると、

アコギでの弾き語りって
声とアコギ以外の音が一切存在しない故に
「歌詞」の存在感が数段増していて、
「楽曲そのものの姿」が見えるような気がする。

さっきのガラスのブルースの例でいえば、
藤くんの声の震え方や息遣いなんかも
バンドスタイルの時よりもっと
くっきり聴こえるからだろうか、
ボーカルの思いや感情が
ダイレクトに響いてきて、
曲を通して心と心が直接触れ合うような、
「届く」ってこういうことなんだろうと思った。

歌詞だってそう。
聴き慣れてるはずなのに、
普段なら聴き流してしまう時もあるのに、
頭の中でテロップがデカデカと流れて、
心にじわーっと染み込んでいく感じがした。

ギターも、ぶっ壊れんじゃねえかってぐらい
力強く弾いていたのがすごく伝わった。
音に感情が現れていた。


歌そのものの丸裸の姿を、
着飾ることのないそのままの姿を
目の当たりにする。
これがどうにも惹きつけられる。
バンドでやる時とはまったく違う良さが
そこにはある。

なんなんだろうね、
演奏のサイズは小さくなるのかもしれないけど、
逆に歌としての「密度」は高まるというか…

これが弾き語りの魅力だと思う。
あくまで個人的に、ね。


ちょっと話は変わるけど、
実はバンドでの演奏って
歌を届けるという意味では難しいのよ。
僕もコピーバンドとか組んでるから
少しはわかっているつもりなんだけど、
人間の声って全然通らないの。

前にバンドでライブイベントに
出たとき、観にきてくれた友達に
正直どうだった?って聴いたら、
「あんまり声が聞こえなかった…」
と言われてしまった。
(もちろん僕のボーカルとしての力が
不足していることも要因のひとつ)

思い返してみれば他のバンドの演奏を聴く時に
僕がいつも思っていたのは
「ボーカル聴こえないな〜」
だった。

まあそうだよね、バンドの場合は
ギターもベースも爆音だし、
ドラムもドカスカ鳴るのよ。
いくらマイク通したって人間の声より
数段音デカいんだよね。
(音域が被る被らないの話もある)

ボーカルを際立たせることを
バンドのコンセプトにでもして、
普段からメンバー全員で
「曲が届く姿」をイメージして
作り込むとかしないといけないんだけど、
そこまでやるバンドってたぶん少ない。

それにライブハウスって
当たり前だけど初対面の素人コピバン相手に
PAさんもそこまで本気でやってくれない。
「ボーカルのLow-Mid(中低音域)
ギリギリまで上げてください」
とか言ってもなかなか対応してくれないわけ。

という理由から
バンドスタイルで歌を「届ける」ことは
凄まじく難しいと思っている。
本人たちでさえも
音作りにものすごく苦労しているだろうに、
素人のカバーやコピーでは
一歩近づくことすらハードルが高い。

ましてやガラスのブルースを
バンドでコピーして、

「うわ!ガラスのブルースってやっぱいいな!
最高だな、泣けるぜ…!」
などと観客に思ってもらえるような演奏が
できたら多分それは奇跡に近い。
そもそも耳にすら届いてないのに、
心に届くことなんてないのだろう。

でも弾き語りなら…
多くの場合まず「耳には届く」と思う。
ドラムもベースもギターも、
物理的に誰もいないからね。

この時点である意味バンドにはない
メリットを獲得しているわけだ。

そのあと「心に届く」かどうかは
歌い手の能力(音程、声質、リズム感、
ギターの腕前…等々)と、演奏のアレンジ次第。

バンドでは出せないボーカルのアレコレが
めちゃくちゃ表現できるし、伝わりやすい。

裏を返せばそのクオリティが低いと
とんでもなく恥ずかしいものが
出来上がってしまうのは怖いところである。

演奏としての規模が小さくなるのに
その「密度」も低い状態では
バンドの劣化版なんて揶揄されても
仕方がないわけだ。


僕が弾き語りをするときは
その「密度」を上げることをイメージしている。

例えるなら、
でっかい綿あめよりちっこいパチンコ玉の方が
威力があるでしょ、そんな感じ。
歌で人の心の壁ぶっ壊して
その奥にたどり着くには
綿あめを押し付けるよりも
パチンコ玉を思いっきりぶん投げる方が
効果的ってことだ。伝わんのかこれ。

というわけで、
「密度の高い弾き語り」を
やれるになりたいなと思う次第です。

目指せパチンコ玉〜!!!

読んでくれてありがとう!

またね!


【今日の一曲】

ガラスのブルース
BUMP OF CHICKEN


noteを書きながら食べた朝マック

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