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石原特殊鎖製作所 36

次に石原きょうだいやその配偶者たち、そしてその子どもたちである僕らが顔を合わせるのは、石原きょうだいの誰かか、あるいはその配偶者の誰かが死んだ時なのだと思う。
それは決して遠くにある出来事ではなく、もうあと数年の間に次々と起こることなのだと思う。
石原きょうだいの一番末で10番目である母も既に75歳に近くなっていて、一番上の伯母も90歳を超えている。
誰がいつ死んでもおかしくはない。

僕がまだ小学生にもならなかった時からの数年の間に次々と誰かが死んでいったように、これからの10年はその時と同じように次々と誰かが死んでいくだろう。
その中には僕の両親も含まれるだろうし、母から縁を切るように言われた4番目の伯父、相続を巡り父と仲違いしてしまった叔母もその中に含まれるかも知れない。
その時にはもう、僕が子どもの時に感じた、そこに集まった石原きょうだいを中心にして、伯父や伯母たちの話を聞く楽しさは全くないのだと思う。
すでに石原きょうだいは後期高齢者と呼ばれる人たちになっていて、次は誰なのか、あるいは集まれただけで良かったというような、悲壮感に満ちたものになるに違いない。

でも、それは必ずやってくるもので、僕はその時が来る時の準備をしておきたいと思っている。
僕はもう、「大きくなったねぇ。」と呼ばれる「ひろちゃん」ではなく、36歳の大人なのだ。離婚はしたが、結婚を経験し、子どもたちがいて、給料に見合うと思えない量の仕事をしながら、それでもまぁ、1人で暮らすにも十分とは言えないけれど、なんとか暮らしている1人の人間として、その場に立ち会わなければならない。
僕はもう、無邪気に母の実家の鎖をつくる作業場に行かせてもらって、その金属と油とが混じった部屋に行かせてもらったり、掘りごたつで足が底に着かないで何があるのか分からない不安を感じたり、ようやく足が届いた時にどうなっているのか分かった時に喜んだりするような子どもではないのだ。

誰かが死んだ時、伯父や伯母の話に耳を傾けながら、「好きなもの食べな。」と言われ、遠慮しつつも、普段食べることの出来なかった寿司を食べられて喜ぶようなことは、もう2度とやって来ない。
今度誰かが死んだ時には、老いた伯父、伯母の姿を目にすることになり、それ自体は誰しもにやってくることだけれど、僕が小さかったときの通夜振る舞いなのに宴のような雰囲気になることはもう2度と訪れることはない。
葬儀自体も少しの人数で行われるだろうし、石原きょうだいが仲違いしてしまった今、石原きょうだいとその配偶者が全員揃うこと自体がもう2度とないのかも知れない。
もし仮に石原きょうだいとその配偶者たち全員が集まったとしても、そこには何かしらの緊張感があるだろうし、通夜振る舞いがあったとしても、酒が入り楽しそうに伯父や伯母たちが話していた、僕が小さな子どもの時のようなことは起きないだろう。

僕がまだ小さな子どもで、伯父、祖父、祖母が次々と死んでいった30年前とは何もかもが変わってしまったのだ。
それは人の関係だけでなく、石原特殊鎖製作所も同じことで、石原特殊鎖製作所自体も廃業してしまった。
僕が生まれたときからずっといる8人の石原きょうだいは僕が30歳になる頃までは旅行に行ったり、新年会や祖父母の墓参りで集まったりと、関係を維持していた。
けれど、お金を巡って4番目の伯父と他の伯母と伯父たち、そして母は、母の言葉を使えば「縁を切った」。
兄と20年以上もまともに会話をしていない僕からみると、それはとても悲しい出来事でしかない。

この出来事から学べることもある。
お金が関わると人間関係が変わる。
父の兄である伯父が死んだ後、叔母と父とが仲違いしてしまったように、お金を介すると人はそれまで築いてきた関係が決定的に変わってしまう。

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