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石原特殊鎖製作所 24

結局僕は伯父のような教師にはなれなかった。8年間続けたけれど、それだけでは生活出来なくなったこともあり、教師を辞めた。
大学院での修士論文の副査をしてくれた先生は、「10年やったら一人前」と言っていたけれど、僕は結局一人前になることなく、教師という仕事から離れることになった。

伯父が亡くなった後、伯母は2人で暮らしていた団地から、駅前にあるマンションの一部屋を買い、そこで暮らすようになった。
1人で暮らすには広すぎることも狭くもない広さで、駅へのアクセスもよく、近くに大きなスーパーマーケットもある、とても良い立地の低層のマンションだ。
伯母には子どもがいないことと、母と仲が良いこともあり、伯母が何か困ったことがあると、母や父、僕らが手伝うようにしている。

最初に伯母が困っていたのは、パソコンを使えない、ということだった。
そもそもどんなパソコンを買えば良いのか、インターネットに接続するにはどうしたら良いのか、それらを主に父がアドバイスし、必要があれば伯母の元に行き、まずはどんなものを買えば良いのかアドバイスをし、使い方の説明をし、立ち会わなければならない時には工事に立ち会った。65歳を過ぎた人間が何か新しく始めるということは――実際はどんな年齢でも関係がないと思うけれど――、とても難しいことだと思うのだけれど、伯母は諦めることなく、自分にとって必要なことだと思っているようで、自分よりも詳しい人間にアドバイスを求め、分からないことを質問し、そうして少しずつパソコンを使えるようになっていった。
今では、自分で作った年賀状を僕の元に送ってくれるくらい、パソコンが使えるようになっている。

そうした伯母の姿を見ていると、大抵のことは何かを新しく始めるということに、年齢は殆ど関係がないということに気づかされる。
65歳でプロスポーツ選手になりたい、なろうとすることはとても難しいことかも知れないけれど、やりたいと思ったことをやるということは、いつだってはじめることが出来る。
そして、やり続けていれば、少しずつやり方を覚え、出来るようになる。
ようはやり続けられるかが一番重要なのだ。

縄跳びでいきなり二重跳びが出来る人はいない。
水泳でいきなりバタフライが泳げる人はいない。
縄跳びだったらまずは飛んでみる。縄を回してみる。
水泳だったら、まずは水の中に身体を沈めてみる。水の中に身体がなじむのを待つ。

僕らはそうやって、どんなことも最初は小さなことから始めて来たのだけれど、年齢を重ねると、何故かそれを忘れてしまう。
最初から二重跳びが出来るようになると思ってしまう、バタフライが泳げると思ってしまう。
全然学んだことのない言葉を読み書き出来ると思ってしまう。
だから、すぐに諦めてしまう。

けれど、同時に諦めることは悪いことではないとも思う。
みんながみんな二重跳びを出来る必要はないし、バタフライを泳げる必要もない。エスペラント語を話せる必要もない。
そもそもそれが出来ない人もいるし、向いていない人もいる。
そもそも出来なかったり、向いていなかったら、早々に諦めることも必要なことなのだと思う。
みんながみんな出来なければならないことなどない。みんながみんな出来なければいけないことは、最初から出来るようになっている。
それは例えば呼吸をするとか、排泄するとかそういうことで――それも難しい人がいることはいるけれど――、基本的にみんなが出来ないと困ることはそもそも身体の機能として出来るように僕らの身体は出来ている。
だから、出来ないなと思ったり、向いていないなと思ったら、すぐに諦めて、次に何かしたいなと思うことにチャレンジすることの方が無駄な時間と努力を積まなくて良いのではないかと思う。

けれど、僕にはそれがどんな理由だったのかは分からないけれど、伯母はパソコンを使えるようになりたいと思い、数年をかけて使えるようになった。
最初はパソコンのことを何も知らなかった伯母が、続けるということによって、自分で年賀状を作れるようになった、ということは、何よりも続けることの大切さを僕に教えてくれている。

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