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石原特殊鎖製作所 32

絵を描き始めて何よりも良かったと思うのは、小さな時に塗り絵を描いていたとか、泥団子を作っていたとか、木登りをしていたとか、とにかく、楽しいと思っていたこと、好きだったことを思い出すことだった。
僕は何年もの間、病院に通うようになってから考えても、10年以上も自分自身が言ってしまった、行ってしまったことが突然思い出され、あんなことを言わなければ良かった、しなければ良かったと、その度に苦しい気持ちに襲われた。
けれど、絵を描き始めてみると、何故かそのようなフラッシュバックは起きなくなり、小さな時に本当に好きで楽しかったことを思い出すようになった。

小学5、6年生の時の担任教師に自分の絵を否定される前のことからだったと思うのだけれど、僕は新聞を作っていた。
それはもうどこにも残っていないのだけれど、教室の廊下側の扉に僕は新聞を作っては貼らせてもらっていた。
もしかしたら、それは、その後日記を書くようになり、詩のようなものを書くようになり、ブログを書き、こうして文章を書くことへつながっていることなのかも知れない。

また、小学校の校外学習ということで、市内にある遺跡――当時は「遺跡」とも言われていなかったのだけれど――に行ったとき、そこは休耕地のようになっていて、土を掘り返すと土器のかけらを見つけられ、それが楽しかったので、その週末に自転車で30分以上かかるその場所に行って、1日中土器のかけらを集めた。
コンビニで渡されるような小さめのビニール袋に入れ、家に持ち帰り、それら一つ一つを眺めた後、僕が持っている訳にもいかないので、週明けに担任教師に渡した。担任は驚いた顔をしつつ、それを受け取った。
その後、その教師がその土器のかけらたちをどうしたのかは分からないけれど――今ネットで調べてみたら、本格的な発掘調査をしているようで安心したけれど、僕が採掘した土器がどうなったのかは分からない――、土に触れる、ということがとにかく楽しかったのを思い出す。
土に触れる、ということで思い出すのは、泥団子つくりに夢中になっていたことも今になると納得がいく。また、本当の土ではないけれど、粘土も好きだった。何かこれをつくるようにと言われてつくることもあったけれど、雨などで幼稚園の室内で遊ばなければならない時間の時には、よく粘土で遊んでいた。
グニャグニャとしたその握ったときの感触が好きで、幼稚園児の僕にはその固さがちょうど良かった。そもそも僕は泥だとか、粘土とかそういうグニャグニャとしたものが好きなのだ。小学生の時にはスライムをつくり、それでよく遊んでいたし、今は土に触れるということから離れているけれど、ぬか床をグニャグニャとかき混ぜることを毎日している。
毎日ではなくても、家族と一緒に暮らしていたときには、よく挽肉を使った料理をつくっていた。子どもたちは挽肉の料理をよく食べてくれたし、僕も餃子が好きなので、月に2、3回は挽肉を使った料理をし、そのグニャグニャとした感触を楽しんでいた。

粘土で思い出すのは、もはや土ではないのだけれど、幼稚園の時に紙粘土でおひな様とお内裏様をつくるように言われてつくったものは、母が気に入ったようで、つくってからもう30年以上の時間が経っているにもかかわらず、毎年その時期が来ると実家に飾られている。
また、土ではないけれど、砂場で遊ぶのも好きだった。幼稚園の園庭に出ると泥団子を作るか砂場に行って、砂の城とも言えないような山をつくり、そこに穴を開け、トンネルをつくり、そのトンネルを通るように道をつくり、水が流れるようにした。
それは幼稚園の園庭だけではなく、幼稚園が終わったあとで公園に行ったり、夏休みとかに外で遊ぶときにもそうしていた。
もはやそんなことは30年近くも忘れていたのだけれど、絵を描き始めてから、次々にそんな僕が幼い頃に好きで夢中になっていたことが思い出されるようになった。

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