見出し画像

石原特殊鎖製作所 34

4番目の伯父と今後一切関わるなと母に言われたけれど、それは、母と伯父との関係であって、僕と伯父との関係の話ではないし、そもそも僕の人間関係に対して、母だろうが口出しすること自体おかしいことで、それに対して「はい、分かりました。」と、そのまま素直に従うような幼さもなければ従順さもないので、口では「分かった」と言ったけれど、結局僕は伯父夫婦に今までと同じように、年賀状のやりとりをしている。
これは、父の妹である叔母とも同じような情況で、父は決して僕に対して「あいつとは関わるな」と言うようなことを言って来るような人ではないし、実際に言って来てもいないのだけれど、父の兄である伯父が死んだ後に残った土地とお金を巡って父と叔母とで争いが起きた。

この件に関しては、伯父が死んだ後の家の片付け――それはまさにゴミ屋敷と呼ぶべきものだった――を父と母と兄と一緒にしたこともあり、金額までは分からないものの、何が起きたのか大体のことと経緯を知っているのだけれど、残された財産に対して、父は多くもらおうとすることはしなかったし、むしろ、葬儀の手配から、埋葬、残された家の片付けとその手配、土地の売却や銀行に預けられていたお金の把握と、死んだ人間の後始末に関する実務を一手に引き受けていたので、父が少しくらい多めにもらっても良いような感じにさえ見えた。
けれど、その残された財産を均等に叔母と分けようとしていた父に対して叔母は弁護士を立ててまで、より多くの金額を父に要求してきた。もっとあるはずだ、と。
最終的には、父が最初に提示した金額通り、法律に基づいて均等に分配されたので、結果的に叔母は弁護士を雇うだけのお金を損する形になった。父は一連の出来事に対して、その渦中珍しく「雅子は昔から馬鹿だった」とこぼしていた。
僕は父が僕が幼い頃、僕に対して行ったことに対して未だに許せないことがあり、父を完全に好意的に捉えているわけでもないし、今でも殆ど会話は交わさず、何か連絡をするときは、仕事のやりとりかのように業務かのように敬語を使って行ったりしている。
けれど、父は誠実な人間だと思うし、少なくとも伯父が残した遺産を少しでも多く取ろうというような気持ちも全くないようだったし、実際にそんなことをしようともしていなかった。

父は伯父が死んだ後の、伯父が残したものの何もかも、その多くは体力も気力も忍耐も必要だったものを一旦引き受け――それは僕から見ても途方もない面倒くさいものだった――、必要な手続きを行い、整理し、叔母と均等に分けるということをしていた。
そして、それに対して叔母と争うことになり、父と叔母とは決定的に仲違いをしてしまった。
それは拒絶というような、あるいは母が4番目の伯父に対して言ったような、きょうだいの縁を切る、というような強いものではなかったけれど、父は叔母と連絡を取ることもなくなり、叔母も父と連絡を取ることをしなくなった。

けれど、その父と叔母との仲違いに関して、僕は関係がないので、僕は叔母とはそれ以降も年賀状のやりとりをしていて、僕の近況を知らせるその年賀状を読み、叔母は僕にSMSでたまに連絡をして来る。
叔母は離婚をし、子どももいないので、頻繁に会うような関係ではなかったけれど、叔母にとっては、親戚の中で唯一僕だけが連絡を取れる人間ということなのかも知れない。
僕は僕で特に叔母に対して何か悪い印象を持っている訳でもないし、叔母が僕に連絡をしてくるということは、叔母に何かがあったときには、親戚の中では僕だけが何かすることになるだろうということなのだろうと思う。
実際には、叔母は祖父母と伯父の遺骨が納められている墓に入ることを望んでいないし、既に共同墓地に入る契約を済ませているのだけれど、埋葬や葬儀については叔母の望んだように出来たとしても、やはり何かしら残るものがあって、それは今の法律では親戚にしか出来ないこともあるので、その時には僕がやることになるのだろうと思う。

子どもの頃にはただ葬儀に行けば済んでいたことも、やはり、誰かが死ぬ、それも近い親戚が死ぬということは、大人になると、ただ葬儀に参列すれば終わりという話ではなくなってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?