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石原特殊鎖製作所 15

西日が当たって暑かったので、僕の席は窓際でカーテンに一番近かったので、席を立ちカーテンを閉めた。

それの何が悪かったのかは今でもまるで分からないのだけれど、とにかく、その社会科の男の教師は僕が悪いことをしたという口調と視線を向けていた。
「おい、藤原、何か言うことはないのか?」と言われ、その時必死に考えたけれど、結局何も思いつかず、けれど、何か言わないとこの沈黙の時間が続き、授業が進まないことだけは分かったので、授業が進まなくなってしまったことをクラスメイトに対して謝っておくべきかもと思い、教師に「すみませんでした」と言った。
そして、その後その教師は分かれば良いんだというようなことを言い、授業を進めた。別に僕はその教師に謝ったわけではなかったのだけれど。

そういう出来事が僕が通った中学校では日常的にあふれていた。
制服はカラーを付けなければならない。一番上のフックを付けなければならない。
髪型はこうでなければならない。髪色はこうでなくてはならない。
僕は地毛が茶色っぽいので、特に長期休み明けになると、何人かの教師に髪を染めてるのでは、と言われた。
あまりにも何回も何人もの教師に言われたので、そこまで言うならと実際に染めたこともあるのだけれど、基本的に地毛だった。
僕にはどうすることも出来ない髪の色を染めているのではないか、と疑われることも意味が分からないことだったけれど、髪の色が何色でもかまわないと思っていたので、髪の毛の色に対して何か言ってくること自体意味が分からなかった。

中学校には「○○でなければならない」があふれていて、さらには、それに従わないような態度を取るだけで、教師たちは成績という力を使って僕らをねじ伏せようとし、従わせようとした。
けれど、僕は多分先天的なものが多分に影響していると思うのだけれど、「みんなと同じ」ことをすることが苦手だったし、自分で納得できないことには従いたくなかった。
ある女の音楽の教師は、僕らが「男」だというだけで成績を低くした。
女のクラスメイトたちは、女であるだけで最低でも五段階の3だったのだけれど、僕らは男であるということだけで最初から基本が3に設定されていた。
その女の音楽の教師から5を付けられた男のクラスメイトを僕は2人しか知らない。同級生は200人くらいいて、半分ちょっとが男だったにも関わらず。

そういうわけで、僕は小学校から更に加熱していった誰が誰を好きだとか、誰が付き合ってるだとか、小学校にはなかったスクールカースト的なものも出来、自分の立場を気にしなくてはならなくなったことや、誰が何のために作ったのかまるで分からない規則や、それをただ「規則だから」という理由で押しつけてくる教師、そして、成績や単に「大人」というだけで力を使ってねじ伏せ、従わせようとすること、その何もかもが嫌だった。
僕自身は成績という権力はどうでも良かったのだけれど、両親、特に母に何か言われることは面倒くさかったので、両親から文句の言われない程度の成績を残す必要があった。
その両親から文句を言われない程度の成績を残し、あるいは教師から母に連絡がいったり、母が学校に呼び出されることのないようにしつつ、それでも納得できないものに従わない、ということは簡単なことではなかった。
実際に何人かの教師とは真っ向から衝突し、あなたの言っていることはここがおかしいと僕は思うという手紙を書いたり、何度言っても話が通じないので、自分の教室ではない教室で行われる授業には行かずに教室に残り、本を読んでいたりした。
それらのあらゆるものが不毛だった。

何故こんなことでエネルギーを使わなければならないのか。
他の誰と誰が付き合っていようが、誰が誰のことを好きだろうか僕には関係のないことだったし、興味もなく、スクールカーストなどどうでも良いから、自分は自分の好きなように過ごしたかった。
そして、納得の出来る範囲、それはつまり究極的に言えば、この国の憲法で定められている個人の自由が欲しかった。
学校での規則はその自由がまるでなく、民主主義の国とはとても言えない教師たちによる恐怖政治、強権政治が行われていた。

僕に少しでも勇気があれば、そして、もし誰か周りにいる大人が教えてくれていれば、そして今の自分があの頃に戻るとするならば、中学校には行かなかったし、それほど中学校が嫌だった。

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