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石原特殊鎖製作所 23

学校の中でさえ行き場がないことを知っていたのにもかかわらず、そして、学校の外に出ればさらに行き場を失うことを容易に予想できたにもかかわらず、僕は1人の生徒の死を防ぐことが出来なかった。
僕はただ、彼が部屋に入っても良いか、という問いに、もちろん、と応え、彼が持ってきたお弁当を食べ終えるまで一緒にいただけだった。

なんという愚かなことだろう。
もし、また同じ時に戻ったとしても僕は彼に同じことをするだろう。
そして、彼は自ら死を選ぶだろう。
そして、その彼の死を知り、僕はひどく動揺するだろう。

僕は何者でもなく、誰の何の役にも立てない。目の前にいた、目の前にいる1人の生徒の死を防ぐことも出来なかった。
僕はチャプレンになりたかったのだ。僕が高校の時に教わったチャプレンのように、神を語ることなく、愛を語ることなく、信仰を語ることなく、その生き方を通して、自分が生きている姿をさらすことで、意味など考えることなく、ただ生きることを、生きて良いのだということを伝えたかった。
だからこそ、僕は仕事部屋を開放し、行き場がそこしか見つけられない生徒たちが来ることを、歓迎することもしなかったし、何か積極的にアプローチもしなかったけれど、彼らが来ることを拒むことはしないようにしていた。
教師を続ける意味はなかった。僕はもう誰かに「先生」と呼ばれることに耐えられなかった。「先生」と呼ばれてはいけなかった。
確かに、生徒たちよりも先に生まれた人間ではあるけれど、誰かに先生と呼ばれるような存在ではいけなかった。
僕は教師をしていたとき、延べ1万人近くの生徒たちに接していたことになるのだけれど、結局1人の命の前では無力だった。

9999人の命が今も生きているとしても、1人の人間が死んでしまったら、意味がない。
その1人の命が生きていられるように僕は仕事をしているつもりだった。けれど、やはりそれは「つもり」でしかなかった。
彼のような生徒がいられる場所、生きていても良い、生きていること自体がとても大切なことで、それだけで十分なのだ、ということを授業や、毎朝行われる礼拝で月に2回巡ってくる話を通して、そして、僕がいるときには部屋を開放することによって、それを伝えようとしていた。
生きている意味など考える必要もなく、意味などなくても生きているだけで良い。どんな理由があるかまるで分からなくても生まれてきたのだから、生き続けること、死ぬまで生きること、それさえしていれば良いのだということを伝えたかった。
けれど、彼にはそれが伝わらなかった。伝えることが出来なかった。

かろうじて高校では生きていくことが出来ていたのだろうけれど、高校を出て、その先に行き場、居場所を失ってしまったのかも知れない。
僕らが生きているこの社会は生きているだけでつらい。居場所だと思ったところは容易になくなってしまうか、追い出されてしまうし、自分の目指していた場所にたどり着いたと思ったら予想とは全く違っていることもしばしばある。しばしばどころか殆どの場合、行き場というのは自分の考えていたものとは全く違うと言っても良いかも知れない。

生きていくだけでつらい。
だからこそ、僕らは何の価値観にも基づかず、他の誰かが決めた判断にもよらず、生まれてきたからこそ、ただ生きていけばそれだけで十分なのだと思う。
誰だっていつか死ぬ。
けれど、自分で死ぬのではなく、その時が訪れるまで生きる。
どんな理由があるのか、そもそも理由などないのかも知れないけれど、僕らは生まれてきた。だからその時が来るまでただ生きているだけで良い。
生きている意味や自分の価値など考えて苦しむくらいなら、そんなことを考える必要などない。考えても答えなどないかも知れないし、実際にないのかも知れないのだから。

僕はそれを伝えたかったし、僕自身も時々それを忘れてしまうので、生徒たちに伝えるというよりも、自分自身に確認するために伝えようとしていたのかも知れない。

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