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石原特殊鎖製作所 31

日本でも上野の近くに住んでいたこともあり、美術館によく行くようになった。
国立西洋美術館、東京都立美術館、上野の森美術館、そして、たまに国立新美術館、東京都現代美術館、森美術館など。
それらの美術館の常設展や企画展はヨーロッパにある美術館に比べたら作品数はとても少なかったけれど、それでもわざわざ海外に行く費用のことを考えたら圧倒的に安い金額で世界の様々な作品を観られた、それはそれで良かった。
国内を旅するときもいつの間にか美術館に行くようになっていて、山陽から山陰地方を巡ったときには、尾道市立美術館、大原美術館、足立美術館などを訪れた。

そうして、僕はいつの間にか、絵を観ることに対しては距離を置くのではなく、むしろ積極的に行くような存在になっていた。
けれど、それがすぐに自分が絵を描くということと結びつくかというとそんなことはなく、相変わらず僕が自分で絵を描くという気持ちが起きることはなかった。
だけど、こうして絵を描いている人の動画を観て、これなら自分も描けるかも知れないと思い、描き始めてみると、今まで僕が観てきた様々な美術館での作品が影響しているような気もしてきた。
今までいつの間にか僕は絵や彫刻、工芸品、写真、あるいは建築物などの美術作品を観るということを通して、自分の中にそれらの情報がインプットされていたのかも知れない。
もちろん、それはインプットだけで、技術的な面から観ようとしたこともないので、すぐにアウトプットすることは出来ないし、絵を描く方法も技術も知らないし、専門的に学んできたり、何年も、何十年も続けてきた人と同じ水準のものをいきなり描けるわけではない。

けれど、様々な場所の美術館や教会で観た絵画や建築物たちは確かに僕が今、絵を描いているということに対して、素地として大きく影響していることは確かなことなのだと思う。
小学六年生の時から自分の意思では絵を描くことをしなくなり、10年近く、他の人の絵もあまり観ることがなかった。そして、22歳のときくらいから結婚相手の影響で美術館や博物館に行くようになり、30歳前後の年、数年に分けてヨーロッパを旅したとき、教会や美術館を巡り、国内で旅をするときにも美術館に行くようになった。
それは、自分では意識していたことではないけれど、15年近くに渡って絵画などの美術作品をとにかく観てきた、インプットし続けてきた、ということになる。

そして、今30歳も半ばを過ぎ、僕は絵を描き始めた。
この年齢で絵を描き始めたことは、僕にとても良い影響をもたらしていると思う。
そもそも、専門的に絵を描くことを学んできたことはないので、完全な素人であって、評価されるものではなく、単に自分が描きたいから描くことが出来ているということがある。
素人なのだから、他のプロだったり、歴史に名前を残すような人の作品と比べて落ち込むようなことはない。
始めたばかりなのだし、学んできたこともないのだから、当然うまくは描けないし、評価もされない。それを当たり前のこととして受け止めることが出来ている。
僕が絵を描き始めて、学ぶために観ているのは、最初に絵を描いている動画を載せていた人の絵と、モネの画集だけで、他の人の絵は観ない。
他の人の絵を観てしまうとどうしても比べてしまって落ち込んでしまうことがあるので、それは素人にもかかわらず僕が何故か絵に自信を持っているということでもあるのだけれど、落ち込むのも馬鹿馬鹿しいので、その2人の作品しか自分からわざわざ観に行くことはない。

絵を描き始めて自分でとても面白いと思うのは、子どもの時のことを色々思い出すようになったことだった。
それは、小さな時はいろんな絵を描いていたことも含まれている。
20年以上も絵を描くことは自分には出来ない、苦手である、というと思い込んでいたのだけれど、こうして絵を描き始めてみると、そういえば小さな時はずっと絵を描いていたな、とか、泥団子を作っていたな、とか、木登りをしていたな、といろいろなその頃楽しかったことの思い出が次々に思い出されるようになった。

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