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石原特殊鎖製作所 46

父方の祖父、あるいは父に関して知っていることは殆どない。
ふと思い立ち、祖母と伯父が死んでから、鎌倉にあるお墓に行ってみた。
そこには子どもの頃、毎年墓参りに連れられて来ていたのだけれど、祖母が死ぬまでその墓に入っているのは祖父の遺骨だけだった。
墓石の表面には十字架と名字が、裏面には僕は会ったことも見たこともない祖父の名前が彫られ、子どもの頃は両親に促されて、両親がしている姿を見て、何を考えれば良いのか毎回戸惑いながら、その墓石の前に立ち、祈っているような姿をしていた。

祖母が死ぬまでその墓には祖父の遺骨しかなかったのだけれど、祖母が死に、その数年後に伯父が死んだことで、3人の遺骨が納められることになった。
僕が墓に行くと、そこには夏に両親と行ったときに雑草を取り除ききれいにしていたにもかかわらず、背高く伸び枯れた茎が何本も立っていた。
多分セイタカアワダチソウだと思われる植物が何本も立った墓を見て、僕は驚き、何も考えずに引き抜いた。
それは茶色く僕の肩くらいまでの高さまであり、夢中で引き抜いた。
引き抜いたあと、ふと気づくと僕が来ていたコートには枯れてとがった葉が何本も刺さっていて、払い落とそうとしたけれど、取れず、コートを脱ぎ、刺さった葉を一つ一つ取っていった。

枯れた植物を取り除いた後も墓石の周りには雑草が沢山生えていたけれど、僕は掃除をするつもりで行ったわけではなく、道具を何も持って行っていなかったので、簡単に手でむしり取り、敷石を整え、墓石を洗った。
今までこんなことはなかったのだけれど、名字のところの端には固まった土が入り込んでいた。
その土はすぐ取り除けるかと思ったけれど、固く固まっていて、水をかけても簡単には取れず、さっき引き抜いた茎を突っ込み、無理矢理土を取り除いた。そしてまた水をかけ、雑草は生えてはいたけれど、なんとかそこまで長い間放置されている墓には見えないようになった。
そして、僕は墓石の前に置かれた花をさす石に花をさし、改めてゆっくりと墓を見た。

裏面にはずっと祖父の生年と没年と名前しかなかったけれど、祖母と伯父のそれが彫られていて、改めて見てみると、祖母が死ぬまで34年間もその墓には祖父の遺骨しかなかったということに気がついた。
その34年という年は、僕が生きてきた年と殆ど変わらなかった。
34年もの間、その墓には祖父の遺骨しか入っていなかった。
僕が会ったこともない祖父の遺骨だけが34年もの間入っていて、そのために毎年数回墓参りをしていたということになる。
今はその墓には祖父だけでなく、祖母と伯父の3人の遺骨が入っていて、祖母が死んだ年を見ると、それはまだ10年も経っていなかったけれど、それなのに何年に死んだのか明確に覚えていなかった僕は、改めて祖母が死んだ年を知った。

祖母が死んだ年からすでに8年が経っていた。
僕の中では30歳くらいの時に死んだと思っていたのだけれど、それはまだ僕が28歳の時で、その1年にはいろんなことがあった。
それまでいた場所から追われるようにして、新しい仕事を見つけ、引っ越しが決まっていた日の数日前に東日本大震災が起き、それでも予定通りに引っ越しを終え、4月からは子どもたちを二カ所の保育園に通わせながら、僕も新しい仕事を始め、なんとか僕もそこでの生活に慣れようとしていた。
その年の夏、義理の弟の妻が死んだ。
子宮頸がんを患っていて、それまでの数年間闘病生活を送っていたのだけれど、若さもあってかがん細胞も活発に働いてしまったのか、ちょうどまだ30歳位だったにも関わらず死んでしまった。

彼女は義理の弟と大学で知り合い、僕らが結婚式をしたその夜、僕の妻の実家で妻の母と妻と僕の3人がいるときに、結婚をすると話した。

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