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石原特殊鎖製作所 28

担当してくれた男性教師の話はその生徒が毎日新聞紙をちぎり、さらさらと舞上げ、触り、集め、またさらさらと舞上げるという様子を温かな視線を送りながら見ていた。
1日中といっても、朝のランニングや、学年が集まって――といっても数人なのだけれど――何かのプログラムやレッスンをしたり、給食を食べ、1人だけだけど、帰りには僕を含めて3人での帰りの会をしたのだけれど、基本的にずっと彼はワンルームくらいの広さの教室の窓際で新聞紙で遊んでいた。

「子どもの時、水たまりにポチャンと入りませんでしたか?」というその男性教師の一言で僕は彼のやっていることの意味というか、何故それを繰り返しているのかということを少し理解出来たような気がする。
僕も小さな頃、長靴を履き、ポチャンとその中に飛び込んだ。
それはとても気持ちが良く、何度もやった記憶がある。
今では長靴自体を履く機会がないので、水たまりの中に飛び込むことはないのだけれど、自転車で走っているとき、道路脇に水たまりを見つけると、それを避けるのではなく、両足を上げ、その中をすいっと通り、水がさーっと広がっていくのを楽しむことがある。
彼のやっていることは僕がやっていることと同じことなのだ。
僕は毎日それをすることはないけれど、彼はそれを少なくとも僕がいた一週間の間ずっとやっていた。

それは彼にとってとても気持ちの良いことだったのだろう。
それを見て、僕が子どもの時好きで毎日ずっとやっていたことを思い出した。
僕は近所にある幼稚園に2年間通ったのだけれど、その間やっていたことは、塗り絵と泥団子作り、あやとりだった。
外で遊ぶ時間になると、皆が駆け回って遊んでいる中、僕を含めた何人かは泥団子を作っていた。作るサイズや形はそれぞれが好きなように作っていたけれど、僕が作っていたのはサイコロのような小ささなのだけれど、固く、表面はさらさらとする泥団子を主に作っていた。中でもこだわっていたのは固さだった。
たまに気が向くと丸い泥団子も作ったけれど、ピカピカにするよりも僕には固さが重要だった。角もなめらかなサイコロの形をした泥団子を作り、作った泥団子は幼稚園の敷地内にあった礼拝堂の入り口に隠していた。

部屋遊びでは、塗り絵をずっとしていた。あやとりは相手がいないと出来ないことだったので、誰か――多くの場合母だった――がいないと出来ないけれど、塗り絵は紙と色鉛筆があれば1人で出来たので、幼稚園でも家に帰ってからも時間があると塗り絵をしていた。
縁に沿って色を塗り、中を塗っていく。ただそれだけのことなのだけれど、僕はそれをずっとやっていた。

泥団子も塗り絵もあやとりも、何故そればかりしていたのか、と今聞かれたら好きだったから、あるいは気持ちが良かったからとしか答えられない。
幼稚園では許されていた、泥団子を作り、塗り絵をし、あやとりをするだけで1日を過ごすということは、小学生になると難しくなり、段々とそれを忘れていった。
泥団子でも、塗り絵でも、あやとりでなくても、好きなことをただずっとしている。
そのことがいつの間にか許されなくなってしまい、大きくなると、それだけを1日していることは「異常なこと」と捉えられてしまう。

彼が新聞紙をちぎり、さらさらと舞い上げ、手の上で揺り動かして感触を確かめるということを1日中していることは、僕が幼稚園の頃にやっていたことと同じことなのだ。
それがなんとなく大きくなると許されなくなってしまう。
男性教師が「きっといつかこれも終わる時が来るんだと思います。」と言ったことはその通りなのだと思う。
彼にとっての新聞紙での遊びは、僕にとっての泥団子作りであり、塗り絵であり、あやとりなのだ。
それがいつか終わってしまうということに僕は少し寂しさを覚えた。

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