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石原特殊鎖製作所 29

「子どもの時、水たまりに入りませんでしたか?」

男性教師の言うその言葉は僕の中で今も残っている。
水たまりの中に入ること、泥団子を作ること、塗り絵をすること、そして、つつじの花を見つけてはその蜜を吸っていたこと。
僕は小さな時にやっていたそれらのことを思い出した。
そして、それと同時に小学生の時から続けていることを思い出した。

僕は小学生のあるときから文章を書き始めた。
それはちょうど絵を描くのを辞めた頃だったように思う。
幼稚園や小学生の低学年の時、僕は塗り絵をしたり、抽象画のような絵を描いていた。
けれど、小学5、6年の担任にそれを見せると、軽く扱われ、6年生の時に描いた絵に対して、その担任の男性教師は、僕が描いた人間の姿を見て、「これは人間ではない。ちゃんと人間の姿を見て描き直しなさい。」と言った。
それから僕は絵に対して苦手意識を持つようになり、絵を描くことが出来なくなった。
今思えば、そんな担任の言葉など無視して、そのまま描きたいように描いていれば良かったと思うのだけれど、その時には教師の言うことは従わなければならないと思い込んでいたので、僕は担任の教師が言うように、多分皆が見えているだろう人間の姿を描いて提出した。

それ以降、学校の授業以外で絵を描くことはしなくなった。僕が見ているもの、見えているもの、そして描いているものは理解されることはなく、見てもらえたとしてもぱっと見ただけでそこに何が描かれているのかを理解しようとする気さえ起こさせないことに気づき、そのことに僕はひどく傷ついた。
その代わりになったのが文章を書く、ということだった。
原稿用紙に、その時感じたことを詩のような形で書いていくようになり、それが高校生の頃まで続いた。時々何か気持ちの収まらないようなとき、モヤモヤとした気持ちが出てきたような時に、浮かんできた言葉――それは大抵詩のようなものだったのだけれど――を書き残すようになった。
大学生に入る頃、ブログやSNSが流行りはじめ、そこに僕は文章を書くようになった。

そこに書くようになったのは、それまで書いていた詩のようなものではなく、その時思ったこと、感じたことだった。
日記も中学生の頃から書いていたけれど、それとは別に、ある程度公にしても良いような出来事、そこで感じたことを書くようになった。
会社自体がなくなったり、僕自身が心機一転するために場所を変えつつ、また、新しく登場したプラットフォームを使いながら、僕は15年以上もどこかに何かしらの言葉を書くようになった。

書くという行為によって、僕は自分の中にある気持ちを吐き出したかったのだと思う。
吐き出さずにはいられなかったのだと思う。
外に吐き出すことをしなければ、そして、それがたとえ僕自身が実際に会ったことがある人ではなくても、読んでくれている人がいるということで、僕自身を保つことが出来ているのだと思う。

最近になって、僕はまた絵を描くようになった。
そのきっかけは、YouTubeである人が絵を描いている様子を見たからだった。
とても失礼なことなのかも知れないけれど、その動画を見て、これなら僕にも出来るかも知れない、と思った。
早速僕は100円ショップに行き、絵の具を買い、そして絵を描き始めた。
描き始めると、とても気持ちが良かった。
道具は一切使わず、絵の具と手指を使って描く、というその行為がとても気持ちが良かった。

絵を描き始めるようになって、色々と思い出すようになった。
何故僕が絵を描くことに苦手意識を持つようになったのか。
小学5、6年生の時の担任に僕が描いた絵を見せたときの反応、描き直すように言われたこと、それで僕は絵を描くことに対して決定的に苦手意識を持つようになったこと。
その時までは筆や鉛筆を使って描いていたけれど、それらの道具が絵を描くときに邪魔をしていること。

そして、僕が描いた絵を今まで文章を載せていたSNSに載せたら、とても意外な反応が返ってきた。

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