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石原特殊鎖製作所 1

僕はその部屋に入るのが好きだった。

その小さな部屋は、玄関から一度外に出てから入るようになっていて、そこに入ると金属と油の匂いにつつまれ、数え切れない量の小さな箱が全ての壁一面に整然と積み上げられていた。
棚としつらえられた作業机は木で出来ていて、その色は濃く、何十年にも渡って使われていることが小さな僕にも分かった。
作業机の上には、鎖や工具が置かれていて、実際に作業をしていることを見たことはないのだけれど、僕はその部屋が好きだった。

その部屋は母の実家にあったから、僕がその部屋に入れるのは、年末年始か、あるいは何かしらの用事があって家族で行くときだけだった。僕は母の実家に行くと、必ずその部屋に行かせてもらった。それは、その家に行くと必ずやらされていた仏壇で線香を上げることと同じようなことだった。
母の実家に行くと、僕らは1人ずつ線香を上げさせられた。線香を上げて何をしたら良いのかもよく分からなかったのだけれど、とにかく線香に火を付け、火のついた線香を手で払い、煙を上げた線香を壺に入った灰の中に挿して、金属で出来た何かを一度チーンと鳴らし、目の前にあるなんだかよく分からない漢字が並んでいる黒に金色の文字で書かれたものといくつかの写真が並んだ仏壇に手を合わせ、目をつむった。
そこで何をすれば良いのか、何を考えれば良いのか、全く分からず、今でも毎回こういうときに僕は何をすれば良いのか、何を考えれば良いのか困るのだけれど、それはしなければならないことだったので、なんとなく母たちがやっている姿を見て、時間を計って終わらせていた。

その仏壇にやる行為と同じように――実際には僕の中では全く違う行為だったのだけれど――僕は毎回、その部屋に入らせてもらっていた。
僕が母に「あの部屋に行きたい」と言うと、母がその頃その仕事を引き継いでいた伯父たちに僕が入って良いか聞き、「良いよ」と言われると、すぐに僕は玄関に行き、ガラガラと鳴る扉を開け、扉の下の盛り上がった部分を踏まないように玄関を出て、扉をガラガラとまた鳴らしながら閉めて外に出た。そして、木で出来た門を出て、道路に一度出ると、左に行き、その作業場の扉を開け、中に入った。
家の中からも入ることが出来たのだけれど、それは基本的には伯父たちにしかしてはいけないことだったのか、あるいは、僕がそうしたかったのかは覚えていないのだけれど、僕はいつもそうしてその作業場に入らせてもらっていた。

伯父たちは鎖を作っていた。
その仕事は祖父が始め、僕が生まれたときには祖父は既に90歳近くになっていたので、伯父たち2人と近くにある工場にいる従業員1人がその仕事を引き継いでいた。
上の伯父は近くに家があって、下の伯父が祖父母らと一緒に暮らしていた。
工場には一度だけ行かせてもらったことがある。けれど、一度だけなので記憶が曖昧で、ただそこには大きな機械があったことだけしか覚えていない。そして、あの部屋と同じ匂いはしなかった。

僕はあの部屋で嗅ぐ油と金属とが混ざった匂いと、そしてびっしりと並んだ箱と、その中で少しだけある作業机が好きだった。
作業机は長く、入り口から部屋の向こうまで続いていた。伯父たち2人が作業するにはちょうど良い空間なのかもしれないと僕は思ったのだけれど、それは僕がまだ小学生になる前に見たものだから、大人からすればものすごく狭い空間だったのかも知れない。

祖父が93歳で死に、祖母もその翌年に死んだ後、木造のその家はなくなり、伯父の家が建った。そこには新しい作業場もつくられていて、僕も中に入れさせてもらったけれど、その部屋は広く、あの匂いも箱たちもなく、ただの空間でしかなかった。

それ以降、僕は母の実家があったあの家に行ったことはない。

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