見出し画像

石原特殊鎖製作所 30

絵を描き始めて返ってきた反応は、好意的なものだった。
僕が20年以上もの間、絵を描くことに対して苦手意識を持っていたことは何だったのかと思うほど、周囲の反応は好意的で、多くの人が褒めてくれた。
筋が良いとか、大学からの友人の1人は僕が一度も描いた絵を見せたことがないにもかかわらず、僕に絵を描く才能があると分かっていたと言った。僕自身が高校卒業後、絵を描いたのは、大学の時に知り合った友人の結婚式の二次会で友人である新婦の絵をそこにいる全員が描くという企画で描いたのと、子どもが生まれてからたまに描くアンパンマンやNHKの教育テレビに出てくるキャラクターくらいだった。

それ以外に僕は絵を描くことをしてこなかった。絵を描くことからなるべく距離を置くようにしていたし、絵を描くときは、何かしら――子どもにせがまれたり――描かなければならない情況に置かれたときだけで、それ以外の時には描く気持ちも起きなかったし、描かなければならない時も、自分が描いた絵を見ては、気持ちが悪いと思いながら、人に見せることなんてとても出来ないし、描いた後にはやはり絵を描いたのは間違いだったと思った。
それなのに、何故か、20年近く遠ざかっていた、自分の意思で絵を描くということをしてみたら、多くの人たちがその絵を好意的に受け止めてくれ、何人かの人に渡したら喜んでくれたのだけれど、やはりそれでも僕は戸惑っている。

周りの人たちの僕が描く絵に対しての好意的な反応に戸惑いつつも、とても嬉しかった。中でも嬉しかったのは、大学・大学院で西洋、キリスト教美術を専門としていた先輩からも褒められたことだった。
僕は大学・大学院の時には美術館に行くようなことは一切せず、大学の授業で一つだけキリスト教美術に関するものを取っただけで、先輩が専門としていた絵に関しては殆ど分からず、ただただ先輩が学んでいること、打ち込んでいることを見ては、こんな世界があるのか、と感心していた。

僕が美術館に行くようになったのは、結婚した相手が美術館や博物館へ行くのが好きだったからだった。
彼女が行きたいというので、僕はそれについて行くという感じで、美術に関しては相変わらずよく分からない、というか、絵を描くことに対しての苦手意識が先行し、なるべく自分から遠ざけるようにしていた。
けれど、彼女が行きたいと言うので、僕も何度か行くうちにつれ、相変わらず自分で絵を描くことには苦手意識は残ったままだったけれど、美術館や博物館に行くことには抵抗がなくなり、行く機会があれば行くようになった。

それと、僕自身がキリスト教を勉強していたことも大きい。
西洋絵画の中心的作品の多くはキリスト教に関連した作品で、キリスト教に関するものを学んだり、現地に行くとそこには壁画や絵画があり、あるいは建物そのものが美術作品だった。
キリスト教、カトリックの総本山があることからイタリアに1人旅をしたときに、旅の目的は教会や聖堂などをメインにしていながらも、立ち寄った街ではなるべく美術館に寄るようにした。教会をメインに旅をし、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、アッシジを巡りながら、ミラノではポルディ・ペッツォーリ美術館、サンタ・マリア・デッレ・グラティア教会でレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、ブレラ美術館、フィレンツェではウフィツィ美術館、ローマでは市内のヴァチカンにあるヴァチカン美術館、ローマ国立博物館へ行った。
また、高校からの友人がオランダに赴任していたときに、オランダを中心に旅をしたときはベルギーのブルッヘでグルーニング美術館、フランスのパリでオルセー美術館、ルーブル美術館、オランダのア厶ステルダムで国立ミュージアムとゴッホ美術館、デンハーグのマイリッツハイス美術館に行った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?