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石原特殊鎖製作所 18

葬儀場に着くと、僕はすぐにトイレに向かい、それまでしていたネクタイを外し、黒のネクタイを締めた。

葬儀場には僕と同じくらいの年齢の若者たちが沢山来ていた。
それは僕が経験したことのある葬儀で一番人が来ていた葬儀だった。
若者たちは伯父の教え子のようで、定年退職してすぐに脳溢血で倒れたこともあり、実際に最後の教え子たちは僕と同じくらいの年齢だった。
だから、僕がその葬儀場に着くと、その若者たちの多くが僕に視線を向けた。あれ誰?あんなクラスメイト、同級生いたっけ?

僕は学校で伯父から教わることはなかったけれど、伯父がこんなにも慕われていることを知って、僕が伯父のことを好きだったのは、伯父が僕だけに特別なことをしていたからではなく、伯父が接したあらゆる人たちと同じだったことを知って、嬉しくなった。
伯父が慕われていたことは、伯父がいた病室に飾られた千羽鶴や色紙、あるいは贈られた果物などからも知っていたが、4年経っても葬儀にこれほどの人数が来るのは、伯父という人間がどんな人間だったかを一番現しているように感じた。
若者たちの中には涙を流している人たちもいた。
それを見て、僕も泣きそうになったが、焼香を上げ、棺に納められた伯父の顔を見、両親が座る席の空いている隣に座った。

参列者が一通り帰り、親戚だけで通夜振る舞いを食べた後、香典を確認していた父と、母のすぐ上の伯父とを手伝い、金額が合っているか確認した。
伯父と父との計算ではどうしても香典袋に入っている金額と実際にあるお金が違うということで、僕が香典袋に書いてある金額を電卓を使い確認した。
僕が大学生になって始めた大手スーパーマーケットでのアルバイトは、表に出る仕事ではなく、パソコンというか主にテンキーを使う仕事をしていた。
商品それぞれに登録されたバーコードの下に書かれている確か12桁かなんかの数字を打ち込み、その商品をいつどのタイミングでどの期間いくらで売るのか、あるいは、3個セットで買ったら割引になるように設定するという、それは設定と言うほどの難しい作業でも何でもなかったのだけれど、とにかく数字だけをひたすら打ち込むというのが僕らがやっていた仕事だった。
ということで、僕は毎日のようにテンキーをひたすら打っていたので、香典袋に書かれている金額を電卓に打ち込み、確認した。
参列者が多かったので、沢山の香典袋があり、それらの数字を打ち込んでいると、どこで間違っていたのか、数えた現金と香典袋に書かれた金額が合っていることが確認できた。

それは僕にとってはなんでもない、仕事とも言えない30分もかからなかったことだけれど、最後に伯父のためというか、伯父に関わることが出来たことは良かったと思う。

伯父が死んでから数ヶ月後、ようやく伯母の気持ちや伯父が残した様々なものへの対応などにも落ち着いたあと、僕らは伯母が暮らす、かつて伯父と伯母が2人で暮らしていた家に行った。
そこには、伯父が趣味としていた沢山のカメラが整然と棚に収められていて、伯母は自分では使うこともなく、使ってくれる人がいると嬉しいというので、僕にはそのカメラがどんな価値を持つものなのかさえ分からなかったけれど、コンパクトな手巻き式フィルムカメラを一台もらった。
また、まだ使えるきれいなものだし、ひろちゃんもこれから使うようになるだろうからと、3本のネクタイをもらった。

僕は今でもその3本のネクタイを持っていて、何か大切なことがあるときや、緊張を強いられる場に赴くときにはその伯父から譲り受けたネクタイをすることにしている。
その3本のネクタイは、伯父がオーストラリアに行ったときに買ったというもので、端っこにコアラが描かれていて、僕が子どもたちに教えていたとき、そのネクタイを見て、何人かの生徒はそのコアラに気づき、先生のネクタイかわいいですね、と言われた。

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