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僕はひどく疲れている。21

リュックから取り出したiPadを開いたとき新聞を読もうとしたけれど、世界中で流行り、日本でも感染が広がりつつある新しい病気のニュースが大きく取り上げられている一面を見て、すぐに読むのをやめた。

そもそも、文字を読む気にもなれなかった。お腹は焼き鳥屋さんで食べた鳥刺しや焼き鳥、サラダ、オムライスとビールで膨れ上がっていて、アルコールで頭がぼんやりとしていた。
でも、このままぼんやりと過ごすとしても考えてしまうのは、どうしたってSさんのことだった。
僕がこれ以上Sさんのことを考えたところで、彼が死んだ事実は変わらないし、彼はもう骨と灰になり、骨壺に収められ、墓の中に入れられている。
そして、彼女から言われた「死んじゃダメですよ。」という言葉。

僕が死んだらきっと彼女は悲しむと思う。泣くだろうと思う。そして、フジモトもひどく落ち込むことだろう。
けれど、彼らのことを考えて、あるいは他の誰かが悲しむから、と踏みとどまれるのならば、そもそもSさんだって死ななかったはずなのだ。
それを知っているからこそ、フジモトは僕にその言葉を言わなかったし、今までも言ってきたことはない。

Sさん、フジモトらと寮で生活をしていたとき、僕は何度かその引き金に手をかけたことがある。
それを知ったフジモトは僕の部屋に急いでやってきて、扉を激しく叩いた。ぼんやりとした頭で身を起こし、ふらふらとよろけ、机に身体をぶつけながら部屋の扉までたどり着き、僕が扉を開けると、フジモトはものすごく怒った顔をしていた。彼があんなに怒った顔をしたのを見たのはあのときだけだ。
フジモトは今日もそうだったが柔和で、話し方もゆっくりだ。そのフジモトが本気で怒っていた。
フジモトはただただ怒っていた。そして僕の顔をまっすぐに見つめていた。紅潮した顔のままそこに立っていて、でも、フジモトは僕に何も言わなかった。何も言葉が見つからなかったのかも知れないし、言葉が出て来ないほど怒っていたのかも知れない。
それを見て、僕は「悪い。」とだけ言った。

フジモトはじっと僕の顔をにらみ続けたままそこに立っていた。
何分いたのかも分からない。多分、10分以上はそうして2人で立っていたような気がする。
僕らはずっとそこに立っていた。僕はその時、大量の薬と大量の酒を飲み、このまま死ねたらなんて楽なんだろう、と思っていた。
けれど、死ねなかった。
そんなに簡単に人は死ねないように出来ていた。あんなに大量の薬を大量のアルコールで流し込んでも、何ごともなかったかのように目が覚め、起きたときには変化を感じられないほど、人間の身体は強く出来ているのか、と、その時僕は初めて知り、笑いながらその現実のつらさに泣いた。
「とりあえず寝させて。」
そう言うと、フジモトは「分かった。」と言い、扉を閉め、部屋から出て行った。

僕らの目の前にはいつも明確で具体的な自分の死があったのだ。
それはフジモトと初めて会う10年以上も前からぼんやりとだけれどあったし、Sさんやフジモトと暮らすようになってからより明確で具体的なものになった。理由や原因は違っていたとしてもSさんもフジモトも同じものを抱えていた。
だからフジモトは一度も僕に「死ぬな。」とは言わなかった。
それを言ったところで止めることなど出来ない死を僕らは無数に見てきたし、実際に止められないのだから。
そんな言葉を相手に言っても仕方のないことなのだ。
その言葉を言うのは、単に言う側の気持ちが楽になり、実際にその時が起きてしまったときに、少しでも自分の身を守るためなのだ。
実際にその人が死んでしまったときに、「死なないで」と言っておいたのに、と悔やむことが出来る。それは自分の身を守る正しい方法だ。

だからこそ、僕らはSさんにもフジモトにもその言葉をお互いに言うことはなかった。
僕らはただ、その相手が生きているか時々確認し、そして、実際に会ったら、別れ際に「また、会おう」としか言わなかった。
それは希望でもあったし、慰めでもあったし、具体的な目標でもあったから。
次に会う時まではなんとか死なないでおこう。死なないようにいたい。「死ぬな。」と言われるよりもそれははるかに明確な希望であり、目標になることを僕らは知っていたのだ。

結局文字も読めないと思った僕は音楽を聴きながらぼんやりと過ごし、いつの間にか新幹線は僕が降りる駅の名を「まもなく到着です。」とアナウンスしていた。

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