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石原特殊鎖製作所 49

結局、僕は最後まで妻と妻の家族とは家族のメンバーにはなれず、最終的に僕が追い出される形で別れることになった。
一応法テラスにも相談に行ったが、その時暮らしていた家――今も子どもたちが暮らしている――は義父所有の家で、家賃名目で毎月一定額を支払ってはいたものの、賃貸契約をしているわけでもなかったので、相談した弁護士にも何も出来ることはない、と言われてしまった。
そうして、僕は1人になった。

その後、元妻に対して財産分与を求める調停を申し立て、調停としては異例の長さだと思うのだけれど、1年半に渡って話し合いが行われた。
調停に関することはあまり思い出したくもないので、そのことは多分これからも誰かに詳しく話をすることはないと思う。
一つ言えることは、結婚したときから言われ続けていた、「男なのに」という言葉が調停の場でも繰り返された。
僕はその言葉やそれらのジェンダーバイアスに対しては10年以上も向き合っていたので、悲しみ傷つくだけで終わらせることはなく、怒りを込めて抗議をした。
調停員の1人は60歳代くらいの人で、妻が稼ぎ、僕が家事育児の全般をやっていたという、「普通の家」とは違うということが全く理解出来ていなかった。

子どもは女性である母親が育てるものであり、当然子どもたちにとって母親が面倒を見ることが良いことであり、男性は働き、父親が複数の子どもたちを育てるのは難しく、家事をするといっても、それは「手伝い」の範囲なのだと理解しているようだった。
そして、言葉には出さなかったものの、僕が財産分与を求めること自体理解出来ていないようだった。
僕自身もお金に関しては、もうどうでも良いという気持ちになったことが何度もあったけれど、友だちたちの何人かが妻が仕事をし、稼げたのは、その間僕が育児と家事をやっていたからなのだから、ちゃんとその分をもらわないといけない、10年以上もの間僕がやってきたこと自体を僕自身が否定することになると言い、確かにそうだと思い、調停を続けた。

だから、実際のところ、僕自身がこだわっていたのはお金そのものではなかった。
お金という形でしか、僕が10年以上もやってきたことを形に出来ないからこそ、お金で解決しようとしたのだった。
毎日の食事を作り、洗濯をし、掃除をし、子どもたちの送り迎えをし、最初の約束では妻が休みの日は少なくとも妻が食事を作るという分担も、結局、気づいた方、気になる方がやるということで、性格的に僕の方がやることになり、最終的には妻がいるときの夕食の食器の洗い物以外の全ての家事を僕がやっていた。
その夕食の洗い物自体も、僕がやっていたのだけれど、流石に妻が家事を一切しないことに苛立った僕が、せめて夕食の洗い物くらいはして欲しいと言い、妻がやるようになったのだった。

けれど、その調停員の男性には全くそれが理解出来ていなかった。
僕が何度説明をしても男性が言うところの家事はあくまでも「手伝い」程度のものであり、僕が言っていることは、誇張でさえあるように感じているようだった。
その、家事育児はどんな状況であっても、女性が担うものであり、男性はその補助でしかないという考えはその調停員の男性に染みこんでいるようで、あまりにも不快だったので、調停での話し合いが終わる度に、僕に対して放たれたそれらの言葉に僕は殆ど毎回抗議文を提出することになった。
先入観を持たないで欲しい、僕が言っていることがもし真実と違うというのなら、それが分かる書類も提出することが出来るし、実際に見せたこともある。
けれど中々分からないようだったので、担当書記官あてには、調停員としてふさわしくないので、変えて欲しいと上申書を提出した。

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