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石原特殊鎖製作所 13

大学にいる人の多さと、見渡す限りの人工物であふれた大学に僕はなじめなかったし、卒業後たまに訪れてもやはり未だになじめることが出来ない。
周りには沢山の人がいて、沢山の建物があるのだけれど、僕は1人であることをひしひしと感じていた。それは孤独というものなのかも知れない。僕は大学に通っていた間、キャンパスにいる間、ずっとそれを感じていた。

少しだけ落ち着けるのは、礼拝堂だった。
それはその大学が出来たときからある建物で、普段は殆ど人がいないということもあることと、高校の時も僕は1人になりたいときは礼拝堂に行き、座席に横になっていた。
大学の礼拝堂は高校の礼拝堂と比べると遙かに小さく、いろんな団体が使用していたり、誰かがパイプオルガンの練習をしていたり、それこそ礼拝をしていたりしていたので、高校の時のようにほとんどいつでも誰もいない、誰も使っていないという時間はあまりなく、木で出来た座席も高校の礼拝堂のようにクッションがなかったので横になることも身体が痛くて出来なかったけれど、それでもたまに誰もいないことを確認して礼拝堂に入ってぼーっとしていた。

つまり、僕は端的に言えば、多くの人と関わることが苦手だった。今でもそれは変わらないのだけれど、初めて会う人と仲良くなるには時間がかかりすぎたのだ。大学では沢山の学生たちがいて、僕はそれだけで戸惑い、うろたえた。そんな中、なんとか唯一安心できる場所として見つけたのは、両親が通っていたときからある薄暗い校舎の裏にあるベンチだった。そこはじめっとしていて、薄暗かったけれど、そこからはどこへも行けない、校舎の裏だったので、僕のように行き場のない人なのか、あるいは静かな場所を求めているのかは分からないけれど、いつ行ってもいるとしても大抵数人で、殆ど人がいなかった。
その校舎は法学部の校舎ということになっていたので、高校からの友人たちは僕が空き時間になるとそこにいることを知っていて、「フジくん、なんでこんなところにいるんだよ。」と言いながら、大学にいるときには僕がそこにいることを知っていたので2人は僕を探すときには大抵そこにやってきた。

大学のキャンパスの中で僕が唯一安心して過ごせる場所はそこしかなかった。
結局僕は同じ学科の人たちとなじむことは出来ず、そもそも高校の時に部活を辞めた理由も一緒に何かをする、あるいは、自分の意思とは関係がなく誰かの指示に従わないといけない、ということが苦手だと分かったからで、大学に入ってまで部活やサークルに入ることはそもそも考えられなかった。
だから、僕は大学には授業を受けに行くだけで、高校の時と同じように、部活やサークルには入らず、大学の授業が終わると、アルバイトに行った。
扶養控除から外れない年間103万円ギリギリまでお金を稼ぎ、そのお金は僕が大学を辞めたいと両親に言ったときに、それでも大学に通い続けるようにと言われた時に決めた大学院へ進むため、なるべく貯金するようにした。
大学院には実際に行けるかどうか分からない。
けれど、もし、家庭の経済状況が悪くなり、通い続けられるようにするためにもなるべくお金を貯金しておこうと思った。

大学生になり、高校生の時と違う大手スーパーマーケットでアルバイトを始めたのだけれど、時給は850円で、勉強もしなければならず、僕の専攻はとても限られた分野ということもあり、これは手に持って読まなければならないという本はとても高価で、古書店にもなく、あったとしても高く、最低限と思っていても、それだけで僕が稼いだお金はなくなっていき、僕が当初予定していたほどは貯金することが出来なかった。
それに僕はストイックに勉強とアルバイトだけをしていたわけでも当然なく、勉強というべきか研究というべきか調査というべきか分からないけれど、それらをかねて出かけたり、単に旅に出たいという気持ちで旅行に行ったりしていたので、お金をあまり貯めることは出来なかった。

けれど、それらの旅、特に外国に行くと、僕はとても気持ちが良かった。
いろいろなちょっとしたハプニングが起きるけれど、外国で1人でいるということは、完全に自分がその社会にとって外部の人間であり、そこでは孤独を感じることはなかった。

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