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石原特殊鎖製作所 35

子どもの頃から親戚の集まりというと誰かの葬儀のことが多かった僕にとって、葬儀はどこかしら楽しさを含んだものだった。
もちろん、祖母や母と3歳しか違わない一番上のいとこが死んだ時に、母がひどく悲しんでいる姿を見るのは楽しいものではなかったけれど、葬儀自体は通夜振る舞いでなんやかんやと伯父や伯母たちが食事をしながら、いろんな話をしているのを見ているのが楽しかった。
必ずそこでは寿司が出てきて、伯母たちは「ひろちゃん、好きなもの取りな。沢山食べてね。」と言ってくれ、今のように回転寿司店などなく、気軽にお寿司など食べることが出来なかったので、僕は遠慮しつつも、好きなネタを取らせてもらっていた。
それは、伯母たちにとって僕が一番下の甥だったこともあるかもしれない。一番年齢が低い、あるいは一番末の子であるということは、それだけで大人たちは甘やかすとまでは行かないのかも知れないけれど、かわいがってくれた。

通夜振る舞いでのお寿司もそうだし、伯母たちだけでなく、いとこたちも、特に僕よりも母の年齢に近いいとこたちからは、会う度に、「ひろちゃん、大きくなったねぇ。」と毎回言われた。
今はもう僕は35も過ぎた大人になっているけれど、相変わらず伯母やいとこたちは僕のことを「ひろちゃん」と呼ぶ。
この間も母に写真で送った僕が描いた絵を母は母の一番近い伯母のまこちゃんに見せたらしく、「ひろちゃんは小さな時から絵を描いていたの?」「すごく良いって伝えておいて。」と言っていたと母から伝えられた。

僕が最後に絵を描いた記憶は、中学生の時の環境問題をテーマにしたコンクールみたいなもののために描かされたもので、それ以降は高校でももしかしたら描いたのかも知れないけれど、子どもたちにせがまれてNHKの教育テレビに出てくるキャラクターやアンパンマンやドラえもんと言ったキャラクターをたまに描いたけれど、それらは絵というよりもキャラクターなので、僕にとって絵という感じでは捉えていないので、多分中学生の時に描いた絵が最後なのだと思う。
なので、最後に絵を描いたのは20年以上も経っている。
そんな中、ふと絵を描くようになり、今では毎日絵を描いている。

36歳になって始めた絵を描くというのはとても気楽だ。
もし、これが20年前のことだったら、今のように僕の描いた絵を見た人たちから褒められたりしたら、自分が絵を描ける人間だと勘違いし、絵の才能があると思い込み、人生の選択肢として絵を描いて、それを売り生活していく、あるいは、絵を専門とした学校に進むことも考えていたかも知れない。
けれど、僕は今36歳で、36歳になって描き始めた絵を売り生活していくというようなことを考えることもなければ、今から絵を専門とした学校に通うという気持ちも起きない。
仕事から帰って、夕食をとった後、一枚の絵を描き、それをSNSに投稿する。

また、何かお礼を伝えたいときに、そのままその時に描いていた絵を渡したり、額に入れて渡している。
今のところ、絵を渡した人たちはみんな喜んでくれたし、同時に驚いてもいた。
それほど、僕が絵を描くことは考えられないことだったのかも知れないけれど、とりあえず、絵を渡した人たちはみんな喜んでくれることは、僕にとってはとても嬉しいことだった。
なにせ20年もの間絵を描いてこなかったのだし、ほんの数ヶ月前までは僕自身、絵を描くことに苦手意識を持っていて、自分が絵を描くことなんて想像もしなかったし、必要に迫られて描いた絵を見ては――それは歌うということも同じことなのだけれど――、気持ちが悪いとしか思えなかったからだ。

母から僕の絵を見て「すごく良いと伝えておいて」と言われた、一番近しい伯母であるまこちゃんにはもう2、3年会っていないので、そのうちまた会う日が来るだろうけれど、それは、また誰かの葬儀なのだろうと思う。

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