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僕はひどく疲れている。24

会議での発表後、上司がすぐに僕らの勤務時間も短縮してくれ、在宅勤務も可能にしてくれたのだが、結局僕は実質1日しか在宅勤務など出来なかった。

いや、本当はその1日でものすごいストレスを感じ、すぐに上司に相談し、出勤を認めてもらった。僕らが扱っている仕事の内容は多くの個人情報が含まれていた。
僕は出勤すると金庫を開け、金庫の中にあるロッカーを開け、その中に入っている鍵で扉を開け、その中に入っているPCを取り出して仕事をし、退勤時には出勤時と逆にPCをしまい、扉に鍵をかけ、その扉の鍵を金庫にあるロッカーに入れ、金庫の鍵を閉める。
僕らの扱っている仕事の中身はそのように何重にも、物理的にも守らなければならないものだった。
それを在宅でやるということ。それがものすごくストレスだった。在宅でその仕事を行うということは、インターネット上で行うことになる。

インターネットはその言葉が表しているようにネット、つまり網だ。
網はつながっている。僕のような素人では太刀打ちの出来ないような技術と知識を持った人間ならば、簡単にその網を伝って、情報にアクセス出来てしまう。
その恐怖に僕は戦いたのだ。
また、実際に僕らが顧客との間で使っているウェブツールでも不正アクセスが確認されていた。

僕が在宅勤務が出来るようになっていたときには、他の部署の同僚たちと同じように9時から15時までにしてくれていたので、僕は、9時から15時で毎日出勤した。
その頃には新しい病気の感染者数が爆発的に増え、不要不急の外出は控えるようにという政府からの呼びかけがあったこともあり、電車はそれ以前と比べれば乗客は少なく、すし詰めになるようなことはなかったが、僕は新しい病気に感染することよりも、自分が扱っている情報が外部に漏れることの方が遙かに恐かった。
また、確かに感染が分かった人の人数はかなり多かったのだけれど、様々なデータを見る限り、すでに感染拡大のピークを超えていた。それを何人かの人に話したときには誰も信じてはくれなかったけれど。

上司は毎日出勤していたが、同じ部署の同僚たちも在宅勤務をし始めた。
週の半分くらいを在宅勤務にしたり、何回か在宅勤務にしたりしていたが、僕は毎日出勤をした。
毎日出勤をしていた人は、管理職だけだったので、僕はすっかり、毎日出勤する人、毎日職場にいる人と、管理職からも、他の同僚たちからも認識されるようになった。
なので、たまに出勤してくる同僚たちから、PCがうまく使えない、3月末に新しく導入した複合印刷機が使えない、という問い合わせや、毎日のように開かれていた管理職らの会議で決まった内容を「とりあえず田中さんがいるから」というように振られた仕事をこなした。

完全に混乱していた。状況は予測できないものだったし、同僚たちの健康や不安にも気を配らなければならない。そして、その混乱している状況は、顧客にも伝わっていた。いつもより多い顧客からの電話に対応しながら、なんとか年度末業務を終わらせ、新年度にしなければならない仕事をした。
何度も繰り返すけれど、僕はこの会社に入ってまだ4か月を過ぎた頃だった。オオサワさんが行っていた仕事の引き継ぎも出来ず、上司の抱える仕事のキャパシティーは完全に超えていて、同僚も同じような状況だったので、僕はただ、自分がしなければならない仕事を多少のミスはあったけれど、自分で確認し、行った。

それは、まさに嵐というような忙しさで、その時の僕は忙しさよりも、会社にもそして外に出たときの雰囲気によって、ストレスを感じていた。
普段はいつも同じものを食べているにも関わらず、殆ど客のいない店で外食をし、休日になるとちょっと遠くにある広い公園に行き、ベンチに座り、本を読んだ。
そうすることでなんとかそのストレスから逃れようとしていた。

ようやく落ち着けるようになり、身体を休めることが出来たと感じたのは、5月に連休があったからだった。

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