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石原特殊鎖製作所 20

僕が教員免許を取ろうと思ったのは、その時にいたチャプレンの影響だった。
チャプレン、つまり学校や病院、あるいは福祉施設などにいる牧師のことをチャプレンと言い、僕が通っていた高校には2人のチャプレンがいて、その1人から1年生の時、聖書の授業を受けた。
そのチャプレンは聖書やキリスト教の話も当然していたのだけれど、それよりも、自分が今までどんなことをして、その時どのようなことを思ったのかという、いわば雑談が面白かった。
そして、自由な学校の中でもとりわけその存在が教職員の中で異質というか、自由さが際立っていた。

授業で一番よく覚えているのは、阪神淡路大震災の際に、京都の教会にいたのだけれど、とにかく駆けつけなければならないと、寸断された道路を迂回しながら原付バイクを走らせて被害に遭った人たちの元に行った話だった。
その聖書の授業というか、チャプレンが面白い、誤解を恐れずに言えば変な人で興味深かったので、高校3年生の時の選択授業でも聖書の授業を選び、授業を受けた。
その選択授業では、大学を定年退職した新約聖書学者であり、司祭でもある先生――といっても当時の僕にはそんなことはよく分からず、柔和なおじいさんという感じで捉えていたのだけれど――とそのチャプレンの2人による授業だった。
そのチャプレンから受けた授業、そしてそのチャプレンが高校にいたことが僕にとって教員免許を取っておこうという気持ちになった一番大きな出来事だった。

聖書、あるいはキリスト教の話も当然するのだけれど、聖書自体、あるいはキリスト教そのものの話ではなく、今生きる自分たちがどのようにして生きてきたのか、生きていくかという話を授業ではしていた。
神や愛などという言葉が簡単には出てこない、信仰というものも前提にしない話はとても興味深く、その授業を受け、僕もチャプレンにならなれるかも、チャプレンになりたいと思った。
チャプレンの適当さは、高校2年生の時に行ったオーストラリアへの短期留学でも現れていた。チャプレンは僕らとは違ってどこかの宿泊施設で過ごしていたのだけれど、宝くじを買ってちょっとお金が増えただとか、あそこのお店は美味しかったとか、あのビールが美味しかったとか話していて、そもそも僕には牧師像のようなものはなかったからかも知れないけれど、牧師というか、チャプレンというのは、こういう人でもなれるのか、というのが率直な気持ちだった。
それは決してチャプレンのことを悪く捉えていたのではなく、その人間味溢れる感じというか、僕と同じ人間なのだ、と知り、それなら僕にも出来るのではないか、とシンプルに思った。

好きなことをして、喜び、楽しみ、怒ることもある。
それは聖職者と呼ばれるようなものではなく、ただの人間だった。
この人くらい適当でいて、神や愛、信仰を語らずに自分たちがいかに自由であるか、だからこそ、自由には責任があり、自分の意思でどんなことでもすることが出来るし、その責任を負わなければならない、ということを伝えようとしていたチャプレンの姿に、僕は率直にこの人がチャプレンをやっているならば、僕も出来るのではないか、むしろやりたい、と思った。

そして、大学に入学し、迷うことなく僕は教職課程を取った。
チャプレンになりたいという気持ちが第一ではあったけれど、他の理由としては、両親とも教員免許を持っていたこともある。
両親が大学生だった時代には、とりあえず仕事がなければ教員になる、ということだったらしく、それもあって、僕は教職課程に進んだのだけれど、両親の話と違い、教員免許を取るのは中々面倒くさかった。

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