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石原特殊鎖製作所 33

僕は今、子どもの頃に好きだったことをやり直そうとしている。
まず、絵を描くようになった。それに対して、元々僕のことを知っている人たちが好意的に受け止めてくれるようになったこと、リアルでは会ったこともない人たちからも好意的に受け止めてくれるようになった。それは絵を描くことに苦手意識しかなかった僕にとって衝撃的な出来事であり、それと同時にとても嬉しい出来事だった。
また、70歳を過ぎた母に写真で僕が描いたものを見せたら、それは僕にとっては少し気に障る表現ではあったものの割と好意的な反応が返ってきて、僕がパステルを使って描いていることを伝えたところ、母にとっての一番上の姉である伯母夫婦が興した会社でパステルも作っていることから、伯母に「パステルをもらおうか?」とまで言ってきた。
それはありがたい反応ではあったけれど、僕は既に自分で絵の具は持っているし、伯母の会社が作っているパステルは僕に合うものではないと思ったので、断らせてもらった。

その母とのやりとりを通しても、母の一番上の姉である伯母は今認知症が進行している状態ではあるけれど、未だに石原きょうだいの精神的な支柱であることが分かる。
けれど、その精神的な支柱である伯母が認知症だからこそ、石原きょうだいはそのバランスが崩れてしまった。
よくある話なのだけれど、というか、よくある話かは分からないけれど、父も同じ理由で叔母と仲違いしたので、もしかしたらよくある話なのかなと思うのだけれど、お金を巡って、きょうだいに争いが起きた。
僕からすれば、70歳を少し超えた母が末っ子なので、何を今更もめるのかと半ばあきれてもいるのだけれど、なんとなくそれらの経緯は母を通して聞いていたが、土地や財産をこれからどうするかを巡って、争いが起きた。
それは数年にわたって石原きょうだいが話し合いを持った上でのことだった。
数年にわたっての話し合いには父ら石原きょうだいの配偶者も入って行われたのだけれど、最終的に決裂してしまった。
一番上の伯母が認知症ではなかったら、もしかしたら、うまく物事を進められたのかも知れないし、決裂するようにまでは行かずに仲を取り持つことが出来たかも知れない。
けれど、その精神的な支柱である一番上の伯母の今の状態では石原きょうだいをまとめることが出来なかった。

それは伯母が何か悪いことをしたわけでもないし、そもそも伯母は権威を振りかざすようなこともしない穏やかな人なので、あと5年早くその話が持ち上がっていたとしても同じ結果になっていたかも知れない。
けれど、石原きょうだいの仲は決定的に決裂してしまった。
僕は話し合いの場に出ることはなかったし、何を巡って話し合われているのかも殆ど知らず、知らされず、だからこそ、僕からも聞くこともせず、母から知らされたことはそれらの出来事の結果のごく一部分だけだ。
母の4番目の姉夫婦が今まで暮らしていた家から出ざるを得ないことになり、引っ越したこと、そして、母に一番近い兄である伯父とは今後一切連絡をするな、と言われたことだった。

僕は結婚した後から、伯母と伯父、そしていとこたちに年賀状を送るようになっていた。いとこたちは続かなくなった人たちもいるのだけれど、伯母と伯父たちからは毎年必ず送られてくるので、来年からは年賀状をやらないことにするから送らないで欲しいと言われた3番目の伯父夫婦以外の石原きょうだいには今でも送っている。
結婚して2人だけの時も、子どもたちが生まれ、そして離婚し、1人になってからも、僕は相変わらず毎年石原きょうだいの伯母と伯父たちには年賀状を送り続けている。
2月になっていた頃だと思うけれど、母から突然、4番目の伯父に年賀状を送っているのか確認された。
そして、「もう、きょうだいとしての縁を切ったので、年賀状を送ったり連絡を取るのをやめて。」と、それは半ば強制的な命令に近い形で母から言われた。

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