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僕はひどく疲れている。19

彼女が言うには、そもそも仕事の話をするだけで多くの男たちは嫌がるのだという。

「でもさ、仕事の話をしたりするだけで避けたり、収入が多いからって逃げるような男なんて、一緒に生きていけないじゃん。あと何十年も一緒に生きていくんだよ。」
「そうなんですけどね。子どもとか欲しいとかってのもあるじゃないですか。」
「あぁ。」
それは、そのことだけは、僕には実感することの出来ない、理解しようとしても理解することの出来ないことだった。

年を重ねるごとに出産が難しくなっていく身体を持つということ。もちろん男性にもそれはあるのだけれど、出産するのは女性だ。女性の身体を持たなければ出産することは出来ない。
出産をするためには、相手がいなくてはいけないということ。いざとなれば精子バンクなどで人工授精し出産したり、あるいは卵の凍結をしておくことも出来ることは出来る。
けれど、もし、実際にそれをしたとしても、未婚で出産となれば、さらに変な噂を立てられるだろうし、1人で子どもを育てることは、この社会ではものすごく高いハードルが設定されている。
そもそも彼女の現在の身体の状態が出産出来るかどうかも分からないのだけれど、いずれにせよ、子どもを産みたいという欲求を満たすには、その前提として女性の身体を持つ人でなければ出来ないことだった。

男性という身体を持ち、子どもが欲しいという気持ちもない僕には彼女にそれ以上何も言えなかった。
「中々難しいですね。色々。」
「うん。」

お待たせしました、と店員さんが卵かけご飯とオムライスを差し出し、それを僕らは黙って食べた。
「もう無理。」
卵はとろとろとしていて、ホワイトソースがのっていた。僕はケチャップを大量に入れ、卵の上にもケチャップを沢山載せたようなオムライスが好きなのだけれど、このオムライスも美味しかった。半分くらい食べたところでもう流石にお腹がいっぱいで、味もよく分からなくなっていたが、とりあえず完食しなければと思い、全部食べ終えた後、僕はそう言った。
彼女も卵かけご飯を食べ終えていた。
「そう言ってもらうために今日は会いに来たんです。」と彼女は嬉しそうに言った。

「そうなの?」
「はい。だって、まこさん、ちゃんと食べてないじゃないですか。」
「そうかなぁ。」
いつも繰り返されるやりとりだ。このお店に来る前にも同じやりとりをした。僕は毎日同じものを食べていて、それが多くの人というか、そのことを知った全員に、変な奴と思われるか、心配された。彼女は後者の1人で、同じものを毎日食べ続けていることは、彼女の言う「ちゃんと」には含まれていないのだった。
朝は、シリアル、サラダ、ヨーグルト、果物、昼は、パスタサラダにパン、夜は白飯、キムチ、納豆、味噌汁。僕の食生活はこの数年変わっていない。
彼女からの誘いや、時々食べたくなる焼き鳥、断れずに行くことになる飲み会で出される料理以外、僕が食べているものは毎日殆ど一緒だった。
果物は季節や気分によって変わったが、それでも殆ど一緒だった。

それは僕以外の人間からしたら心配されるような出来事のようだった。
僕は10年以上も毎日最大で5人分の食事を作り続けてきた。もう、これ以上料理をする必要は感じなかったし、10年以上もそれを続けられたのは僕以外の誰かがいたからだった。
家族がいた時だって、僕だけだったらどうでも良かったのだ。
けれど、「家族」がいた。
その人たちが食べたいと思うものを作る。喜んでもらいたいと思うものを作る。
僕が料理をしていたのはそれが理由だった。

他の人が必要としているからこそ料理していただけで、その「他の人」がいなければ正直どんなものを僕自身が食べていようがどうでも良かった。
そして、今は1人でいる。その生活での食事の最適解が今の形なのだ。費用も安く済み、何を食べようか、あるいはどんなものを作ろうか考えることをせずに済むし、いろんな食材を買い込み、無駄にしてしまうこともない。
この間、何を思ったか、ふとゼリーが食べたいような気がして買い、冷蔵庫に入れたあと、食べたいと思わなくなり、そこにゼリーが入っていることは毎日分かっていたのだけれど、中々食べる気になれず、放っておいたら、いつの間にか賞味期限が10日くらい過ぎていた。

流石にこれは食べないとと思い、賞味期限が切れたゼリーを食べたら、ゼリーの固さはなく、ジュースのようになっていた。

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