第33回 釈尊の悟り① 梵我一如(ぼんがいちにょ)
般若心経のサンスクリット原文「法隆寺貝葉写本」の解読結果から導かれる釈尊の悟り①は、人間の主体アートマン(我)は、瞑想修行を成就することにより、ブラフマン(梵)と一体化(一如=合一)するということです。
「アートマンは無い(=無我)」としている現在の仏教からは決して導かれることのない結論ですが、真言(しんごん)または呪(じゅ)と呼ばれる「法隆寺貝葉写本」の最後の部分には、「アートマン(我=意識・心・魂)がブラフマン(梵=彼岸=ニルヴァーナ)に到達することが悟りである」と明確に書いてあります。
梵我一如とは、釈尊が生まれた当時のインド社会を支配していた、バラモン教の主要教義の一つです。
この教義は、人間という存在と世界という存在に対する、非常に重要な真理を含んでいます。
即ち、人間という存在に対する真理とは、人間は物質から生成される肉体と非物質であるアートマンが一体化した存在である、という真理です。
アートマンは通常「我(が)」と訳されますが、具体的な存在のイメージは、臨死体験者が一致して語る、人間の外観そっくりの形状をした「意識・心・魂」の塊(かたまり)のようなものだと思います。
そして、世界という存在に対する真理とは、肉体と固く一体化している非物質的存在アートマンは、瞑想修行により肉体から分離・離脱し、ブラフマン(梵=彼岸=ニルヴァーナ)に到達するという真理です。
分離・離脱したアートマンが認識・覚知する世界が、ブラフマンであり、この状態を梵我一如と名付けているのです。
にわかには信じ難いことですが、釈尊は、この瞑想修行を実践成就し、アートマンの真相・ブラフマンの真相を見極め、仏陀となったのです。
その瞑想修行法を筆頭弟子シャーリプトゥラ(舎利子)に伝授した記録が、般若心経のサンスクリット原文「法隆寺貝葉写本」なのです。
成道後、「この真理・真相を説いても誰も理解してくれないだろう」と釈尊が説法を躊躇(ちゅうちょ)したのも、真理・真相は、自らが体外離脱して実体験しないことには、絶対に理解できないと実感したからです。
筆頭弟子シャーリプトゥラ(舎利子)は、この瞑想修行法を実践成就し、釈尊に続いて仏陀になったことが「スッタニパータ第3章557詩」に書いてあります。
《第557詩 師が答えた。「セーラよ。わたしがまわした輪、すなわち無上の〈真理の輪〉(法輪)を、サーリプッタがまわす。かれは〈全き人〉につづいて出現した人です。」》(中村元訳)
パーリ語のサーリプッタ(舎利弗)は、サンスクリット語ではシャーリプトゥラ(舎利子)と表記します。
真理・真相は、当時の言語・文化レベルでは到底表現することのできない、桁外れのものだったのです。
それを、後世の弟子たちが、実体験しないまま、何とか言葉・文章で表現しようとした結果、八万四千の法門と呼ばれるような、膨大な体系の仏教が成立したのです。
今でも、梵我一如は、瞑想修行を実践成就しないことには、証得・理解できないことに変わりはありません。
しかし今では、体外離脱そのものは、瞑想修行以外の様々な手段によっても実現可能であることが実証されています。
ただ、それらの手段による体外離脱体験が、釈尊による梵我一如の体験と同じ結果をもたらすのかは、定かではありません。
現在行われている瞑想修行法のほとんどは、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)等の煩悩(ぼんのう=悪い想念)を抑止し、精神を統一することを目的としています。
しかし、スッタニパータや法隆寺貝葉写本の記述から読み取れる、釈尊の瞑想修行法の核心は、煩悩だけでなく脳機能の働きそのものを止めるということにあります。
アメリカの脳神経外科医エベン・アレグザンダーの著書「プルーフ・オブ・ヘヴン」(早川書房)に、細菌性髄膜炎により脳機能が失われた状態で体験した、「あの世の出来事」の数々が詳しく書いてあります。
体験を疑問視する向きもあるようですが、この臨死体験は、瞑想修行の成就は、脳機能の一時的な停止によりもたらされるものであることを、暗示的に示しています。
スッタニパータ第5章1037詩《識別作用が止滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びる。》(中村元訳)は、まさにこのことを書いているのです。
梵我一如というと、何か難しい概念であるかのような印象を受けますが、自宅のパソコン(=我)でゲームやワープロをピコピコやっているだけだった人が、インターネット(=梵)に接続できるようになり、世界が一気に広がった体験に近いのではないかと思います。
今の若い人たちには信じられないことかもしれませんが、ウィンドウズ95が発売された当時、パソコンをインターネットにつなぐ作業(=体外離脱体験)は、とてつもなく難しかったのです。
科学技術の発展は、いずれ、ゴーグルを装着するだけで、ブラフマン(梵)の世界を自由自在に擬似体験できる時代の到来をもたらすでしょう!
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