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第32回 新型コロナと法隆寺貝葉写本が、仏教を変える!?

 葬式仏教と揶揄(やゆ)されて久しい日本仏教が、新型コロナ禍の終息が見えない中、その役割を急速に終えようとしています。

 新聞の訃報欄でお気付きのように、以前は葬式や告別式の事前告知がほとんどだったのが、最近は、家族や近親者だけで葬儀を済ませましたという、事後告知のオンパレードになっています。

 この変化は、新聞に掲載される有名人だけのものでなく、一般庶民に共通する全国的な傾向になっています。
 葬儀につきものの読経が省略され、僧侶の出番が無くなっているのです。

 この状況がいつまで続くか全く見当がつきませんが、新型コロナ禍が終息した後、以前のような僧侶の読経を中心とした葬儀は、復活するでしょうか?

 私は、新型コロナ禍を契機に、読経・僧侶抜きの新常態の葬送儀礼が、一気に普及するのではないかと思います。
 かねて批判の多かった葬式仏教の基盤が崩れ、僧侶や寺院の存在意義はもとより、仏教そのものの存在意義が、音を立てて崩れるのではないかと危惧しています。

 日本では仏教=葬式のイメージが一般的ですが、元々、仏教と葬式の関係はどうだったのでしょうか。

 仏教の創始者である釈尊(お釈迦様)は、自身が亡くなった後の葬儀について、弟子たちに次のように説いています。(大般涅槃経)
 即ち、釈尊の葬儀はマズラ族(在家信者?)の者たちに任せて、出家修行者は、葬儀には一切関わるな、怠ることなく修行に専念せよ、と。

 今風に言えば、葬儀は葬儀業者に任せて、出家者である僧侶は葬儀には一切関わらず修行に専念しなさい、ということですね。

 僧侶が葬儀の主役を務めている日本の現状は、そもそも、釈尊直々の教えとは全くかけ離れていたのです。

 そしてもう一つ、釈尊の教えとは全くかけ離れてしまっているものがあります。
 それは、仏教宗派ごとに定められている、根本経典です。

 釈尊在世中には一つもなかった経典が、釈尊の死後、時代を経るに従い多数作られるようになり、それぞれの経典が、それを信奉する祖師或いは信徒集団によって、聖典として特別の地位を与えられるようになったのです。

 様々な経典が作られ、一見、仏教は進化・発展したように見えますが、そこには重大な欠陥がありました。

 それは、「法隆寺貝葉写本」(般若心経のサンスクリット原文)の解釈・翻訳を誤り、般若心経を、初期大乗仏教の重要経典「般若経」のエッセンスを要約した、大乗経典の一つと位置づけたことです。

 「法隆寺貝葉写本」は、その梵文から分かるように、最古の仏教経典と見なされている「スッタニパータ」とほぼ同時期に作られた、釈尊の直説を伝承する最古級の仏教経典なのです。

 仏教が八万四千の法門と言われるような多数の宗派・分派に膨れ上がったのは、最初期の段階で、釈尊の直説の解釈・伝承を誤ったからだと私は思います。

 瞑想修行の実践成就なしには証得出来ない「悟り」を体験することなく、語り伝えられた伝承だけを頼りに独自解釈を交えた経典作りを続けた結果、「言語明瞭なれど、意味不明」な経典・経文の乱立につながったのです。

 ここらで、「御破算で願いましては~」と、仏教を一旦白紙の状態に戻し、釈尊は実際何を悟り何を説いたのか、原点に立ち返って仏教を再構築すべきなのではないでしょうか。

 ペスト菌によるパンデミックでキリスト教社会が大きな変革を迫られ、今日の隆盛につながる文学・音楽・芸術・科学技術等のルネサンス期を迎えたように、新型コロナウィルスによるパンデミックは、今、仏教社会に大きな変革を迫ろうとしています。

 キリスト教社会では、「神が全てのものを造った」という唯神論が人々の心を支配していましたが、ルネサンスでその支配から解き放たれ、唯物論が支配的な思想となりました。

 唯物論を基盤とした科学・技術の進化・発展は目覚ましく、今日では、クローン技術・ゲノム改変技術・デザインベビー等、神をもしのぐ領域に達しようとしています。

 しかし、その反面、あまりにも急速に物質文明が進展しすぎた結果、人類は生存の危機にさらされるような地球規模の環境問題に直面し、安定的な経済・社会の構築が喫緊(きっきん)の課題になっています。

 釈尊の直説を記録した「スッタニパータ」と「法隆寺貝葉写本」の二つの梵文は、人間は物質的な肉体と非物質的な魂(アートマン)から構成される存在であること、魂は輪廻転生を繰り返していること、物質的世界と非物質的世界が存在すること等々を明示し、人間はいかに生きるべきかについて教示しています。

 新型コロナウィルスが惹き起こしたパンデミックは、物質的欲望に囚われ過ぎた生き方をしている私たちに、大きな方向転換を迫ろうとしています。

 その時に指針となるのが、釈尊が直接、出家修行者や在家信者に向けて説いた、魂の解脱やより良い境遇・境地への輪廻転生を主目的とする、唯心論的な本来の仏教です。

 唯物論から唯心論への方向転換、それが、持続可能で安定した人類の未来への出発点となり、仏教ルネサンスのキーワードになるのではないかと思います。
 万事、成るように成る!
 

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