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第11回 玄奘訳「般若心経」は誤訳だらけ、だと気づいたきっかけ。

 私が般若心経に興味を持ち始めたのは、2004年に発売された「生きて死ぬ智慧~心訳般若心経」(柳澤桂子著)を、書店で偶然見かけたときでした。
 パラパラッと読んでみて、般若心経には本当にこんなことが書いてあるのだろうか、と疑問に思ったのです。

 それから、文化勲章受章仏教学者中村元氏の専門的な翻訳・著作等を何冊か読んでみたのですが、サンスクリット原文から翻訳された現代日本語の訳文を読んでみても、何が書いてあるのかさっぱり分からないのです。
 そして、これだけ分かりにくいのは、何か翻訳間違いをしているからではないか、と無謀にも思ってしまったのです。

 そこで、自分でサンスクリット原文を翻訳してみようと思い立ち、現存する最古のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」の存在と、その画像がネット上に公開されていることを突き止めました。

 ネット上の百科事典であるウィキペディアの「般若心経」の項には「法隆寺貝葉写本」へのリンクが張られており、そこにアクセスすることにより、古い書体の梵字で書いてある、般若心経のサンスクリット原文を目にすることができます。

 私は、ネット上に公開されている「法隆寺貝葉写本」の画像を拡大コピーして、梵字一字一字の読み方を調べることから始めました。
 そして、最初に気づいた誤訳が、玄奘訳「般若心経」一行目の、「行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみつたじ)」の「深(じん)」です。

 「深(じん)」に対応するサンスクリット原語は、中村元氏が読み解いたサンスクリットテキストでは、「ガンビーラーヤーン」となっています。
 しかし、「法隆寺貝葉写本」の梵文では、「ガンビーラン」となっていたのです。

 日本語では、「私は」、「私の」、「私を」、「私に」のように、助詞を変化させて単語と単語の間の関係を明確にしています。
 サンスクリット語では、英語の「they」、「their」、「them」のように、単語の語尾を格変化させて単語間のつながりを明確にしています。
 従って、ガンビーラーヤーン(女性形の処格)とガンビーラン(男性名詞・対格)では、修飾する単語が異なり、訳文の意味も全く違ってきます。

 既存のすべての漢訳・英訳・邦訳「般若心経」は、玄奘訳に合わせるように、「ガンビーラーヤーン」として翻訳しています。
 あろうことか、サンスクリット原文のほうが間違っている(写し間違い)と見なし、修正(?)して翻訳しているのです。

 しかし、原文通り「ガンビ-ラン」として翻訳すると、既存の「般若心経」とは、まるで異なる翻訳文が導かれます。

 結果だけを紹介すると、「行深般若波羅蜜多時」に対応する「法隆寺貝葉写本」のサンスクリット原文の現代日本語訳は、次のようになります。

 《到彼岸瞑想行では、不可思議な動きをする移動可能な意識(魂)を、必ず、分離・離脱して認知する。
 (翻訳全文は、このシリーズ第2回に掲載しています。)

 私は、「ガンビーラン」を、「移動可能な意識(魂)(チャルヤーン  チャラマーノー)」を修飾する単語として、「不可思議な」と翻訳しました。
 一方、中村元氏は、「ガンビーラーヤーン」を、「智慧の完成(プラジュニャーパーラミターヤーン)」を修飾する単語として、「深遠な」と訳し、「行深般若波羅蜜多時」を、《深遠な智慧の完成を実践していたときに》と現代日本語訳しています。

 現在の日本仏教界では、中村元氏の翻訳・著作がデファクトスタンダード(事実上の標準)となっており、私も大いに参考にしたのですが、「ガンビーラン」と「ガンビーラーヤーン」の違い一つとってみても、翻訳結果は大きく変わってくるのです。

 これは、ほんの序の口にすぎませんでした。
 玄奘訳「般若心経」には、サンスクリット原文には全く書いてない文章が挿入されていたり、逆に、原文に書いてある文章が削除されていたりといった、故意なのか単純なミスなのか、理解に苦しむような誤訳が満載なのです。
 サンスクリットを専門に学ぶ僧侶や仏教学者ならすぐに気づくようなことばかりなのですが、玄奘訳「般若心経」があまりにも有名なためか、問題視されることもなく今日に至っているように思います。

 私が「プラジュニャーパーラミター」を「到彼岸瞑想行」と訳したことでも分かるように、「法隆寺貝葉写本」の梵文は、スッタニパータ第5章の「到彼岸への道」と密接に関係した教えなのです。

 仏教界では、「般若心経」は紀元前後か紀元4世紀頃に成立したと考えられているため、「スッタニパータ」との関連を研究している学者は、全くいないと思います。
 しかし、「法隆寺貝葉写本」に書かれている梵文は、「スッタニパータ」よりも古い、最古の仏教文献である可能性があり、多くの研究者の検証を期待しています。
 (スッタニパータと般若心経との関係については、このシリーズの第1回に掲載しています。)

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