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第7回 「神秘体験」は、夢か現(うつつ)か幻(まぼろし)か?

 「神秘体験」と聞くと、眉を顰(ひそ)めたり、警戒心を抱いて、一歩引いてしまう人が多いのではないでしょうか。
 しかし、「般若心経」のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」を現代日本語訳してみて、この写本には「神秘体験」のことが書いてある、と驚きました。そして、それこそが、「悟り」の本質であると。
 プラジュニャーパーラミター(漢訳で般若波羅蜜多)という瞑想修行を成就(じょうじゅ)すれば、意識(魂)が肉体から分離・離脱してニルヴァーナ(涅槃)に到達する、と書かれていたのです。

 世界の宗教には、神秘体験から始まったのではないか、と思えるものが少なくありません。
 例えば、イスラム教がそうです。スーフィズムという、神秘体験を重視する潮流が、今でもあります。
 仏教では、「即身成仏」を掲げる密教や、「頓悟(とんご)」や「漸悟(ぜんご)」を掲げる禅が、神秘体験を重視しています。

 一般的によく知られている神秘体験に、「臨死体験」があります。 大事故で瀕死の重傷を負った人や、重病で心肺停止に陥った人が、「あの世を見てきた」とか「すでに亡くなっている親族等に会った」と証言する現象です。
 医学的には、脳の幻覚だとか、妄想だとして片付けられているようですが、本人は、間違いなく現実だったと証言しているケースがほとんどです。
 予期せぬ出来事で、重大事態に陥ってしまうために、証言が疑われてしまうのですが、同様の証言は、洋の東西を問わず、今でも絶えることなく続いています。

 「法隆寺貝葉写本」の梵文には、臨死体験で得られるような体験が、瞑想修行により、明瞭な意識下で実現されるということが書かれています。幻覚や妄想ではないのです。
 「法隆寺貝葉写本」を読む限り、釈尊は、菩提樹下の瞑想修行を成就して、スピリチュアルな世界を実体験して、完全な仏陀になったと推定されます。

 「臨死体験」、「瞑想体験」、「スピリチュアル体験」等の「体外離脱体験」は、現代科学では説明のできない、不可解な出来事として捉えられています。
 しかし、これらの不思議体験に共通して現れているものの中に、真理・真実が潜んでいるのではないか、と私は思います。
 神秘体験の中にこそ、仏教のみならず、すべての宗教の萌芽が潜んでいるのです。

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