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第14回 万事(ばんじ)、成るように成る!

 このシリーズ第10回に、玄奘訳「般若心経」の大半は、鳩摩羅什訳「般若心経」をパクったものだと書きました。
 事実そうなのですが、その中で1個所だけ、鳩摩羅什訳「般若心経」には書かれているのに、玄奘訳「般若心経」には全く書かれていない文章があります。

 それが、鳩摩羅什訳「般若心経」では、「不増不減」と「是故空中」の間に挿入されている、「是空法。非過去非未来非現在。」の句です。

 この句は、玄奘訳「般若心経」ではそっくり抜け落ちているため、玄奘訳「般若心経」を底本とした解釈本・注釈本では、まず言及されることはありません。
 玄奘が見落としたのかというと、そうではありません。
 般若心経のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」にも、対応する原文は、全く記載されていないのです。
 鳩摩羅什訳「般若心経」だけに記載されている句なのです。

 玄奘より約250年前の翻訳者である、鳩摩羅什が使用した翻訳原本(パーリ語)には書かれていたのに、玄奘が使用した翻訳原本(サンスクリット語)には書かれていなかった文章だと推定されます。

 なぜこの文章が、サンスクリット原本から、そっくり抜け落ちていたのか?
 今となっては謎ですが、おそらく、削除された理由は、その文意にあるのではないかと思います。

 前回(第13回)述べたように、サンスクリット原語「シューニャター」を、玄奘訳「」ではなく、私の訳「微細世界」に置き換えると、「是空法。非過去非未来非現在。」の現代日本語訳は、次のようになります。

 「この微細世界という存在は、過去でもない、未来でもない、現在でもない。

 これは何を言っているのかというと、「微細世界という形態で存在している諸世界には、過去も未来も現在も、すべてが含まれている」ということを言っているのです。

 現在が含まれていることは分かります。
 それに加えて、過去も未来も含まれているということは、ニルヴァーナの中に存在する微細世界は、始めから終わりまでのすべてが記録された、映画のDVDディスクのようなものだと言っているのです。

 つまり、過去の歴史だけでなく、未来の歴史も、微細世界には含まれているということなのです。
 信じ難いことですが、「是空法。非過去非未来非現在。」の文章には、そういう意味が込められているのです。

 この文章が、鳩摩羅什が翻訳した、パーリ語で書かれた原本(写本)には書かれていた。
 しかし、玄奘が翻訳した、サンスクリット語の原本(写本)には書かれていなかった。
 なぜなのでしょうか。

 これは全くの推測でしかありませんが、「未来の歴史がある=未来は確定している」という決定論的な歴史観が、仏道修行者のモチベーションを著しく阻害し、修行しても無駄だという諦めにつながったため削除されたのではないか、と私は思います。

 削除したから安心して修行に励みなさい、と言ったわけでもないでしょうが、結果的に、非常に重要な教えを隠蔽(いんぺい)してしまったことになります。

 明日はどうなるか分からない、のではなく、確定した明日に向かって、時間は着実に進んでいる。
 「成るように成る!」とは、そういう意味です。

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