ぼーずのメモ帳(街頭布教・三毒の心の話)

【街頭布教 三毒の心の話】
・本日は佛教のお話をさせて頂きます。
佛教は何か?というお話はよく聞きますが、
佛教はまず、今こうして生きている今生、そして亡くなった後の心だけの状態、その後に後生、さらに来世・未來世と、心と行為が続いていく流れに居る中で、お釈迦様の心境を目指して、自も他も利益していこうと、そういうものが佛教です。
ですので、まず日常から自分の心を鑑みたり、調える事自体が、最も大切な修行となります、と説かれています。
 
・ですので此の度は、自分の心を調える為に、伝統的に苦しさの負のループを生み出す原因になる「3つの煩悩(3つの情動)」「貪り・瞋り・愚痴さの三毒の心」についてお話します。
貪り・瞋り・愚かさの三毒、もっと分かりやすく言うと「根強い執着心・イライラの嫌悪感・自他をよく分からない鈍さ」の事です。
・誰にでもあるんですが、例えば「これがないと絶対にダメなんだと、こっちに来て欲しいと。自分の身近に引き寄せたがる心」、逆に「絶対にコレは嫌なんだと、こっちに来ないでと、自分から何がなんでも遠ざけたがる心」、この“是か非かの2対の心”を何かに常に向けている事で終わらない負のループに完全に嵌り続けている、その事に「気づかない心」の状態の事です。
・ですから、それに対応して「執着・嫌悪・鈍さの三毒の心の状態」から離れる為に、精神統一したり、かえってその状態を注意深く観察したり、ケースバイケース・臨機応変に対応するんですが、
大切な事は、この「常に何かに“是か非かの感情を向けて・執着心と嫌悪感の2対”が負のループし続ける事」に気づいて、“何気なく起きているけど、この連鎖の状態には問題があるよ”と認識することが、特に今の世の中では大切になると思います。
 
・何故かというと、今の実際の社会では、此の「執着・瞋り・鈍さの三毒の心持ち」がかえって増すような傾向の状態(社会そのものが三毒の心が増すような仕組みになっている)にあると思うからです。

例えば、何かと場面・場面で「〇〇しなければなりません。逆に、〇〇してはいけません。」「あるものは善くて、あるのものは悪い」と、こういう両極端な話ばかりを聞いていると、自分の思考も「~はダメだ、一方、~は良いんだ」「~は必要なんだ、~は不必要なんだ」「これは是で、これは非です」という二元的な考え方になってしまいがちです。
 
本当はすべてケースバイケースで各々人それぞれ、状況そのそれで適解は違います。
状況・状況で、一方的な「是か非か」の話しばかり出てきたら、“これは悪い傾向だな・三毒の傾向だな”と一旦冷静に心を落ち着かせるのが大切になります。
 
ですので、この度は「“あるものは嫌悪する・あるものには執着し続ける”、そして“その状態をほったらかして放置し続ける”という三毒の心」は自分にとって不利益なんだ、と気づいて頂くのが、まず日常の苦のループから抜け出す心の修行の第一歩になると思います。
 
その中で、おススメするのは、三毒の心を一旦離れて、佛教の目指す所のお釈迦様の心持ち、仏弟子・神仏に念いを向けるという事を、実際に今自分が「是か非かの連鎖の三毒の心」になってる時にしてみる。
 
三毒の心から、神仏に思いを向ける。
この積み重ねで、お釈迦様の心境に、自分の心を徐々に寄せていく事は、今生の上でも、後生の上でも、一番大切になるだろうと思いますので、お話させて頂きました。
 
そして、このお釈迦様を目指す心境が、南無妙法蓮華経という心そのものになります。
本日は此のご縁を通して多少でも、三毒の心を離れて、佛様に思いを向けて頂けばと思います、本日はありがとうございました。

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