やりたいことやってる先生は面白いし、学びがある。

『大切なのは、関わる大人がいろんなことができること。知っていること。そういう大人ほど、教えること無く学びを提供できる』

きのくに子どもの村学園に行かれた知り合いの方が、上に書いたことを創設者の堀さんから学んだとFacebookに投稿していた。

これは、本当にそうだなぁと共感。
日常の中で、いろんな場面がある。ともに料理をつくるとき、自然散策にいくとき、本を読んでいるとき。そんなとき、近くにいる大人がどう振る舞うか。

朝のサークル対話の時間に、「自分は寒がりなんだ」って言う人がいたら「体を温める赤い野菜って知ってる?」って話ができたり、
木工で船を作ろうとしている人がいたときに、この道具が使いやすいよと提案できたり、
自然散策に行ったとき、その場にあるツルで輪っかをつくってみたり。

そういう声かけや動きを、本当に自然と無理なくできる人が、教えることなく学びを提供できる人なんだと思う。

だから、一方的に教える形ではなく、こどもたちの主体性に任せて自由に学びを進めていく学校ほど、そこの教育スタッフは深い知識と経験が求められるように思う。

自分は、まだその専門性に自信がないなぁ。例えば、僕は手芸はほとんどやってこなかった。だから、こどもがプロジェクトで編み物をしているときはなにかを教えることは難しい。

だけど、かといって全部教えられないといけないかというとそうでもないと思う。そもそも、こどもが主体的に進めていく学習の中で全部ってなに?

一番大切なことは、こどものやりたいとか好きを尊重して、その場にいることだと思う。

でも、その上でやはり専門性みたいなものがあると、素敵だし、こどもの想像力を刺激するような感じがする。そして、それはこどもたちが手芸をやってるから自分もそれの専門性を高めるとかっていうものではなくて、自分がやりたいことを進めていく中で出てくるものだなぁと思う。

自分自身がやりたいこと好きなことを突きつめていく中で自然と出てくるような。大人もプロジェクト学習みたいな時間大切だな。

大切なことは、こだわらず、いろんなことを楽しみながらやってみることだと思う。それを積み重ねていくうちに、いろんなことができたり、知っている状態になる。

今自分が楽しみながら、できたり知ったりしていけそうなことは、絵・料理・ウクレレ・ギターかなぁ。歴史も知りたいし、持続可能な社会のためにできることも知りたい。
自分自身にもプロジェクト学習みたいな時間をとってあげよう。

やりたいことはやる。ただそれだけのことかもしれない。やりたいことをやってる先生は面白いし、学びがある。

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