できるだけ自然体が良いと思っていた。

できるだけ自然体が良いと思っていた。

頑張りすぎるとしんどい。自分の場合、高校受験のときに、めちゃくちゃ気合い入れて頑張って受かった成功体験から、最初は頑張るのがとにかく良いことだっていう価値観を持っていた。

そのときは、勉強で気合いがなくなったらトイレに入り、モバゲーの小説のところで名言を読み、「自分はできる!」「なぜばなる!」「南高に受かりたいんだろ!じゃあやるぞ!」などと個室で鼓舞していた。

そんなこんなで高校に受かり、入学したが、ここでは根性だけではなんともならなかった。高3の夏、自分は毎日「カス」「おもんない」と言われた。その度に笑顔でごまかし、嫌な気持ちを根性で抑え、誰にも相談せずにやっていったら、もう誰も信頼できないような精神状態になってしまった。

心が痛いというのが本当に痛いということを始めて知った経験だったし、根性だけではなんともならないことがわかった。

それからは、自分が頑張らなくても良い場所を探すようになった。だから、合わないと思ったところはすぐに辞める。バイトなんて全然続かなかった。

そうしていると、自然体でも良い場所にも出会えた。気合いを入れて、行動しなくても、評価してもらえる場所。
最初は、気合いを入れないのは甘えだと思っていたけど、そういう感覚も少しずつ受け入れられるようになった。気合いを入れなくても良いということがわかった。

良い意味で手の抜き方をわかったんだと思う。
できるだけ自然体でいようと心がけ、気合いを入れることはむしろ、体を壊すから良くないことのように思っていた。

しかし、その考えも最近は少し変わりつつある。自然体でいると、どうしても楽をするって発想も出てきてしまうのが自分。

気合いを入れることばかりだと、しんどくなるし、自然体ばかりでいるとチャレンジしていないような感じ。
自然体でいながら、気合いを入れるような、二つのバランスを取る感じが大切だなぁと思う。

気合いだけだと、自分を守れない。自然体だけだと、枠を出ない。

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