妙見山に登ってきた

妙見山に登ってきた。
看板とかの写真は撮ってきたけど、肝心の山からの景色の写真がない。

まぁ、今回は来週のしぜん学習の下見だったから、景色は目的じゃなかったんだろう。

自然体験をただの活動に終わらせず、教育的に意義のある活動にするにはどうしたらいいだろう?
自分が今までやってきたことは、自然の中で関係性づくりとかはやってきたけど、自然について学ぶ機会って全然やってこなかったなぁと思っている。
だから、今は模索中。自然について学ぶってどういうことだろうってことを。

今感覚として良いなぁと思ってるのは、活動が終えたあと、子どもたちがいろんな発見を他の人に話している様子。前回のしぜんがそんな感じだった。
野生動物との出会いがあったり、自然の不思議に触れたり、繋がりを感じたり。
そんな自然との出会いを演出できる人でありたいなぁと思う。

そのためには、もっと自分が自然と出会わなきゃ。自然に足を運ばなきゃ。今日は登山できて楽しかった。平日にもこうして、自然体験に行けることがわかった。

今の身軽なうちに、足を運ぼう。

ーー
登山中大変なのは、最後の20分くらいだった。最後のジグザグ登る道が永遠のように感じた。疲れて、一回その場に座って、心を落ち着かせるために瞑想をした。体の疲れというよりは、心の動揺のような気がしたから。自然の中の瞑想は心地よかった。そこからは、なんとか登りきり頂上へ。ただ、「これまた降りるんか、、、」ってのは感じていた。

この時期はなぜかリフトなども止まっていて、歩いて帰る他ない。降りる前は本当に憂鬱というか、ほんまに大丈夫かな?と不安な気持ちだった。タクシーだったり、バスあるかな?とかそういう選択肢に目が向きそうになる。

でも、当日子どもたちができるか確認しないといけないから、下ることに。ってかタクシーもバスもこなさそうなところだから、降りるしかないんだけど。

下りは自分の想像とは裏腹に、ほぼ負担もなく、体感時間では登りの半分くらいの時間であっけなく下った。
降りる前はあんだけ不安だったのに、すごくあっけにとられた感じ。

こういうことって日常でもあるなと思う。自分の経験から「これは大変なことだ」と勝手に判断して、憂鬱になるけど、いざやってみればあっけなかったりすること。
やってみないとわからないなぁ、自分の経験から判断するって真実とズレがあるもんだなぁと改めて感じた。

来週のしぜんの学習の時間も、子どもたちにとって何か気づきのある時間になるといいな。

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