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情熱大陸の探究学舎を見て感じた違和感。

情熱大陸で探究学舎をやっていた。
あれだけ盛り上げてくれて、教材も作り込んでくれたら、子どもたちも楽しいだろうなぁ。

やってたこと↓
・戦国時代のオリジナルソングをライブみたいにタオルを振り回しながら歌う
・分子を模型を使って実際に作ってみる
・宇宙の話を実際にプラネタリウムの会場を使って講義する

代表の方は本当に教えるのが上手いというか、子どもをのせることが上手い人なんだろうなと思った。まさに職人芸。

「子ども達を驚かせる授業」とか「もっと知りたい!」っていう探究心に火をつけることを大切にしてるんだろうなということが伝わってきた。

ただ、放送にもあった、授業後の振り返りでも指摘があったような、「煽り過ぎじゃないか?」とか「喧騒が終わった後、ただ楽しかったで終わらないようにするためには?」みたいなことは少し気になった。

個人的な気づきとしては、自分自身に「子どもをのせていくこと、子どもを煽っていくことへの抵抗感」があることがわかった。
そうすることで、不自然になってしまうような、集団として偏ってしまうことに対してなんだか違和感がある。

みんなが分子のあの形を美しいと思わなくてもいいと思うから、「美しいと感じた人ー?!!」「はーい!!!」(ほぼみんな手をあげる)みたいな感覚は自分は抵抗感ある。

否定しているわけじゃないし、こういう場があったら本当に素敵だなと思うけど、ただ自分がやるスタイルとはまた異なる形だなということを感じた。

自分は、もっと自然な、作り込まれてない本物から感じ取り、味わい、自然と生まれた問いを探究していくような探究学習を求めてるんだなぁと思う。

大人が興味をひくために頑張る感じというよりは、子どもから何か興味関心があるはずだから、そこから始めるという感覚。
大人から始めるから子どもから始めるへ。

楽しくなる場づくりはあった方が良いけど、割と落ち着いた感じが自分は好きなんだろうなぁ。

これからもいろんな探究と名のつく学習の形を見ていこう。どれもそれぞれ良さがある。自分が望むものはどんなものだろう?
今回気づいたキーワードは「本物との出会いのときに、子どもから自然と出てくるものから始まる」という感じ。

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