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平安武士の夜間行動はやばかった!

 ウクライナ戦争ではあまり歩兵や戦車などの夜間戦闘は余り目にしない。夜間は視野が制限され、色彩も失われ、視覚が大幅に制限されると同時に、耳が研ぎ澄まされ、皮膚感覚が鋭敏となる。人類が始まって以来、夜は危険に溢れ、人間の遺伝子に刻み込まれている。個人行動もさることながら、組織的な行動は困難の連続である。ましてや地図、コンパス、照明、通信機・携帯電話などの無い時代では統制の取れた夜間行動はどれほど困難であるか、想像に難くない。

 時は平安時代中期、西暦1000年頃の話しである。平氏や源氏などの武士が活躍し始めた頃である。この話しの主人公は左衛門尉平致経(むねつね)。大矢の左衛門尉とも言われた弓の名手である。

 ある晩、明尊僧都(後に僧正となる。)が、夜の御祈祷のために関白藤原頼通邸に詰めていた。頼通は栄華を極めた藤原道長の長男である。
 ところが、夜中に突然、この僧都を三井寺に遣わし、夜の内に帰ってこなければならない用事ができた。そのお供に、その晩宿直をしていた平致経が指名されたのである。
 さて、この致経は、宿直所に常時弓と胡籙(やなぐい)を立て、藁沓(わらぐつ)を一足畳の下に隠し置き、みすぼらしい下人を1人だけそばに置いていた。関白家の人々は、けちくさく、頼りないと軽蔑していた。実際、同じ警護職の近衛府や兵衛府の武官に比べれば、致経の姿は、いかにも地味で野立ったいものであった。
 呼び出された政経は、藁沓を履き、弓・胡籙を背負って、下人を引き連れ、僧都のための馬を引き出したところへやって来た。
 三井寺は、現在の大津市内にある。京都市中から大津までを、一夜の内に往復するわけである。約20kmの距離があり、夜間、徒歩で往復することは現代でも大変である。ところが、この致経は、馬も持たず、乗馬用の沓ではない粗末な藁沓を履いてのっそりと立っていた。
 三井寺まで行くのに、どうして徒歩でついてくるような格好でいるのか。馬はないのか。僧都がこう尋ねたのも、まことにもっともなことであった。しかし致経は、徒歩でもついていけますからと、平然として出発をうながすのである。どうにもわけがわからんと思いながら、ともかくも松明をともさせて7~800mほど行くと、向こうの方から、弓矢で武装した黒っぽい人影が2つこちらに近づいてくる。
 この時代、京の町中といえども夜間は暗く、治安などというものは存在しなかった。だからこそ、武士が警護の任にあたっているのだ。
 僧都はぎょっとした。従えているのは、馬も持たない、いかにもうだつのあがらない護衛が1人、どこの馬の骨ともわからぬ下人だけなのだから。
 ところが不思議なことに、黒っぽい人達は、致経を見ると、いきなり膝をついて頭を下げたのだ。その上、「御馬を連れて参りました。」と言って、一頭の馬を引き出して来た。僧都の驚きは増すばかりである。おまけに、ちゃんと乗馬用の沓まで差し出すという芸の細かさである。驚く僧都を尻目に、致経は当たり前のように、藁沓の上から乗馬沓を履いて馬にまたがった。黒っぽい人達2人も、馬に乗ってそのまま供に従ったので、下人を除くと、護衛は3名になったわけだ。
 頼もしく思いながらさらに200mほど行くと、今度は道の端から、やはり同じように武装した黒っぽい2人が現われ、その場に平伏した。致経も、その者たちも一言も発しないまま、二人は馬を引き出してまたがり、そのまま一行に従った。僧都が、何とも奇妙なことよと思いながら行くうちに、また200mほど進んだところで、全く同様に2人の郎党が現われ、これも無言のまま供に加わった。こうして、数百m進むごとに、次々と2人の郎党が現れ、鴨の河原を渡る頃には、従者は30人にふくれ上がった。この間、致経は一言も口をきかないし、郎党たちもまた無言であった。

 さて、無事三井寺に到着し、用件を済ませた一行は、都への帰路についた。
 鴨川を渡るまでは、30人がそのままつき従っていた。市中に入ると、郎党たちは、さきに出現した同じ場所で2人ずつ、闇の中へと消えていった。頼通の邸の近くまで来たときには、最初に現われた2人の郎党だけになり、これも致経が馬に来った場所まで来ると、馬と乗馬沓を引き取って、どこへともなく消え去った。結局、致経は、藁沓を履いた姿で、もとの下人1人を連れて頼通邸の門をくぐったわけである。

 突然の外出であるにもかかわらず、前もって打ち合わせて訓練してあったかの如き行動は信じがたいものである。それも1000年も昔。夜間訓練をした者ならば、これが如何に物凄いことか実感しているだろう。電話や無線機が無い中、どのように連絡したのか?地図やGPSも無く、どうやって正確に合流できたのか?これらを実現出来るようにするため、平素如何なる訓練を積み重ねていたのか?疑問は増すばかりである。恐るべし、平安武士!!

(参考: 菅野覚明著 「武士道の逆襲」 講談社現代新書、『今昔物語集』22巻「左衛門尉平致軽、明尊僧正を導きし語」)


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