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月うさぎは見えなくても、団子はおいしい

先週末の出来事を。


その夜は中秋の名月。
天気が良かったので月見でもしようと、私は奥さんと一緒に近くの公園のベンチに腰かけました。

月はまぶしいくらいに明るい。
でも、見えると思っていた「うさぎ」の姿は見えない。
なぜだろう。

高校3年の9月、最後の学校行事が終わったころ。
そろそろちゃんと受験勉強と向き合わなければいけない、という焦りと寂しさ。
自転車の帰り道、月面のうさぎは、はっきりと見えていました。

それがもう10年くらい前のこと。


工場が多いこのあたりでは、空気がきれいじゃないから月が見えづらいのかと一瞬考えましたが、メガネをかけたら、そこにうさぎはちゃんと居ました。
単純に、私の視力が落ちたようです(勝手に空気が汚いとか考えてすいません、ご近所さん)。

部活漬けの高校時代と比べたら、朝から晩までPCとにらめっこの会社員生活じゃ、目が悪くなるのも当然のこと。

「こうやって知らないうちに大事なものを無くしてしまっているのかもな。」
「歳をとるって、少しずつ出来ないことが増えることだな。」


夏の疲れ、やり残した課題、年末までの残日数を数えるカレンダー。
9月はいつも、自分のなかの暗いほうの気持ちに逃げ込みたくなります。


ところで、中秋の名月は「芋名月」とも呼ぶそう。
奥さんが近所の和菓子屋さんで月見団子を買ってきてくれました。
それは真ん丸ではなく、里芋のかたちでした。

月を眺めながら食べたその団子は、
とても甘くて、少しもったりとしていた。
けれど、羊羮やういろうみたいに元気のでる味。

「やっぱり蚊に刺された」「夜でも飛行機雲って見えるんだねー」なんて言いながら、その夜は結局、1時間ほどベンチに座っていました。

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これが1週間ほど前のできこと。

どこで誰と何をしていようとも、自分の寂しさとか、気持ちのうえでの「寒さ」みたいなものは、この先もきっとやってくる。

でも、月見団子を食べておいしいと思ったように、その時々で、自分を救ってくれる人や場所がきっとあるはず。

そんな9月の気づきでした。 

とべかえる

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