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【禍話リライト】借りたものを返しに行く話


 病院の怖い話、ではある。

 けっこう昔の話だ。

 あるとき、先輩のAさんが会社に来なかった。入院したという。先日の健康診断で内臓系の疾患が見つかったらしい。聞き慣れない長い病名で、教えてくれた上司もうろ覚えといった様子だったが、かなり深刻な病気らしい。
 しかも、近辺では対応できる病院が一ヶ所しかなく、山奥の病院に入っているとかいう話だったので、みんなでずいぶんと心配していた。

 じっさいに、一週間、一ヶ月と経ってもAさんは戻ってこなかった。

 結局、三ヶ月ほどが過ぎて秋も終わりかけたころ、Aさんはようやく職場に復帰できた。
 久しぶりに見るAさんは「多少痩せたかな」という感じはあったが、思ったよりは以前のAさんそのままで、私を含めて同僚たちはホッとした。

 退院祝いでもしようという話になり、週末にささやかながら食事会を開いた後、積もる話もあって、そのまま何人かで先輩の家にお邪魔することになった。やや気は引けたが、Aさんが元気そうなのと、どうせ一人暮らしだからと言うので、遠慮しつつも上がらせてもらった。

 上がってしまった後は調子のいいもので、Aさんの体調を気遣いながらも、さほど遠慮せずに盛り上がった。
 私は酒を入れていたが、さすがにAさんはまだ無理だったので「雰囲気だけもらうわ」と笑って、宴会の時と同様、軽いつまみだけを美味そうに食べていた。
 病院食だと味気なかったでしょうね。そんなことを言ってみたら、冗談交じりに病院の文句やらなにやらがポンポン飛んできて、それが面白かった。もともと明るくて話の上手い人だった。
 
「でも、すみませんね。ろくにお見舞いにも行けなくて」
 
 笑いの尾を引きながら私が言うと、Aさんは笑った。
 
「いやいや。さっきも言ったけど、ほんとに辺鄙なとこにある病院だったから、いいよいいよ。
 車もぜんぜん来ないし。バスが一日に二、三回来たかなぁ、みたいな感じでさぁ」

 そんなところにねえ、と麦茶を飲みながら相槌を打っていたら、後ろでなにか数える声がした。
 ちらっと振り返ると、「あの時の返すわ」とか、そんなことを言いながら、同僚の二人が財布を開けて紙幣や小銭をやり取りしている。
 それこそ、飲みにでも行った時に貸し借りがあったのだろう。少額のそれを受け渡し合う二人の手をぼんやりと見つめていると、
 
「あ、しまった」

 Aさんが唐突に言った。
 みんながそちらを向いた。

「しまったな、忘れてた。返さなきゃなあ……」

 Aさんが自分の鞄を開けてゴソゴソとしだすので、なんですか、と尋ねると、手を止めて顔を上げたAさんは、照れくさいというように指をこすりながら話した。

「いや病院でさあ、女性なんだけど、すごくよくしてくれた人がいてさあ。
 ……俺、今まで病気とかほとんどしたことないし、こんな入院するなんて初めてだし、まあ、けっこう不安になったりもしたんだよ。
 周りも、ああ、長いこと居るんだろうなって人がいっぱいいて……。
 病院の先生は、ちゃんと治るから大丈夫だよって言ってくれたけどさあ、やっぱり一人になると色々考えちゃって。
 そういう時に、その女の人がいろいろ話聞いてくれたりして、親身になってくれたんだ。
 で、子供じみた話なんだけど、これで気を落ち着けたらいいよ、ってその人がお守りをくれて。
 まあ、でもずっと持ってるとなんか、恥ずかしいからさ! 鞄に入れてたんだけど。お守りもらったから、これで何がきても大丈夫だな!なんて冗談でも言ってると、意外と本当に大丈夫な気になるもんなんだなあ。
 まあ、おかげで俺、なんとかなったのかなって気がしてんだよ」

 Aさんがそんなふうにしていると、こっちも結構しんみりとした気持ちになって、コップを置いて聞いていた。
 
「俺はしっかり治ったし、あの人に返しに行かなきゃなあと思ってさあ」

 その女性はまだあそこに入ってるだろうから、とAさんは言った。
 すると、一人が、じゃあ…と手を上げた。

「おれ、運転しますから、明日とか大丈夫ですよ。土曜ですし」
「あ、ほんと? いい?」

 Aさんは嬉しそうに言った。

「全然いいですよ」
「ありがとう! じゃあ明日頼むわ。悪いなあ」

 どこか退院祝いの続きのような感覚で、私を含む、都合の合う何人かがAさんと一緒に行こうということになった。
 Aさん以外はアルコールも入っていたので、出発は明日の昼ということにしてその日は別れた。




 ずいぶん山奥に入ったなあ、と思った。

 Aさんの指示で高速を降り「そういやここで降りたことないなぁ」と言いながらハンドルを回すと、運転手の奴は山間の道に車を進めていった。街灯もほとんどないようなところだった。
 カーナビのデータが古いのか、表示される情報と現地の道路とが微妙に違っている。助手席の奴がボタンを小突きまわして格闘した末、まあAさんがわかってるからいいかということになった。
 そのAさんの声に従って勾配のある道に乗り、山をぐるぐる回りながら車で上っていく。
 かなり上って、やっと着いた。昼過ぎに出たのに、到着した頃には夕暮れだった。

「あ、ここ、ここ」

 とAさんが言って、指差した。
 木々の間、枯れ葉や枯れ枝が散らばる国道の脇に、ちょっとした駐車スペースらしきものがある。
 そこに車が停まると「じゃあちょっと行ってくるから」とAさんは鞄を持って出ていってしまった。
 日が沈みかけ、辺りはもうだいぶ暗かった。周囲を通る車は一台も無い。
 暖房のためにエンジンをかけたまま、細かく振動する車内は無言になった。

「あの先に病院があるのかな」

 外気の冷たさに曇った窓を指でこすりながら、一人がぽつりと言った。外には、白い息を吐いて歩くAさんの後ろ姿が小さく見える。

「途中で看板あったから、あるんだろ」

 別の一人が、言葉とは裏腹に訝しむように言った。
 確かに、それは自分も見た。詳しくは読まなかったが、「●●病院」の看板が途中で何度かあったのを見かけている。

 そのうちAさんの姿は、獣道のような茂みの中に消えていった。
 いや、獣道は言い過ぎかもしれない。地面はアスファルトではなかったが、人の通っていそうな道ではある。そんなところから病院に通じているのかは知らないが……。

「………」 

 気がつくと、運転手が窓越しに後方―――来た道の方を、しきりに振り返っていた。

「何、どうした」
「おかしいな……」運転手が言った。「病院、だよね」

 誰も答えなかった。運転手が続ける。

「病院……俺、さっきのとこだと思うんだけど」

 さっき通り過ぎたとこを左に曲がった、あそこだと思うんだけどなあ。
 運転手が、ぽつぽつとそう言った。

「え、そうなの。俺らちゃんと見てなかったけど」
「うん……先輩が●●病院って言ってて、それっぽい案内があったから、ああココかと思ったんだけど、『そこまっすぐ』って……。だから言われた通りまっすぐ来たんだけど……。違うと思うんだよなぁ……」
 
 念のため、もう一度カーナビを見てみたが、細かい道が省かれているか何かなのか、やはりよくわからない。
 なにかぞわぞわするような、変な気がしてきた。
 先輩追っかけた方がいいか、と誰かが言い、そうしてみることになった。エンジンを切って、先輩の消えた道へと早足で向かった。 




 先輩、先輩、と呼びかけながら、しばらく進んだ。
 夕日もほとんど遮られて、木々は真っ黒な影にしか見えない。人間らしいものはどこにもいない。それに出発したころから比べるとだいぶ冷え込んできた。手袋でも持ってくればよかったと思いながら、かじかんだ手を息で暖める。運転手が持ってきた懐中電灯が、心細い光で前を照らした。
 人ひとりが通れるか、という道を一列になって歩いていると、不意に道がぐっと広くなって、視界が開け、そこにようやく建物があった。

 大きいことは大きい。たぶん立派な建物だったのだろう。
 ただ、辺りに看板らしいものは無い。様子からして、ここが最近まで使われていたとも思えない。
 その建物は、はっきりしないが、見上げた感じだいたい二階建てくらいだった。たぶん二階建てだろう。

 ただどう見ても廃墟だし、どうしてか窓が一つもないのでよくわからないのだ。

 こんばんはー、という声が聞こえた。

 びくっ、となったが、それはAさんの声のように思われた。

 こんばんはー。

 くぐもったその声は、建物の中から聞こえてくるようだった。見ると、窓のない建物の一階部分に、一つきり、口みたいにドアがついていた。
 顔を見合わせ、寒さに震えながら、土と枯れた雑草を踏みしめてそこに近づいた。

 こんばんはー、とドアの向こうからまた声がした。

 誰も動こうとしない。自分が手を伸ばして、ドアを開けた。

 こんばんはー。

 荒れ果てた玄関で、Aさんが白い息を吐きながら大声を上げている。

 お邪魔しますよー、いいですかー。

 そのまま上がってしまいそうだったので、慌ててみんなで声をかけた。

「先輩、あの、先輩」
「あれっ? なんだお前ら、ついてきたの」

 Aさんは、振り返り、いつもと変わらない調子でそう言った。

「いや、先輩」「ついてきたじゃなくて…」
「じゃあ、失礼しますねー」

 Aさんは段差を上がり、埃を巻き上げながら中へ入っていってしまった。

 慌てて自分も上がったが、Aさんは薄暗い家を灯りもなしにスイスイと歩いていく。病み上がりとは思えない軽い足取りで、朽ちた床を気にする様子もなく動き回る。
 続々と家に入り、急いで追いかけるが、ばっくりと空いた床の穴や、転がった家具などに邪魔をされて中々進めない。だがAさんの方は、何度も予行練習したかのように、ろくに辺りを見もしないでどんどん突き進んでいく。舞い上がった埃や塵がちらつく中で、Aさんの背中が懐中電灯の光の中にちらちらと見え隠れする。

 ようやく追いついた時、Aさんは廊下の一番奥の突き当りに立っているところだった。壁の一角が崩れ落ちて風が吹き込み、その向かいで、ある一室のドアが全開になっている。わずかに見える部屋の中は、真っ暗だった。

「あ、■■■さぁん!」

 差し込んだ暗い夕日の光の中に立つAさんは、部屋の中に誰かを見つけたように親しげに名前を呼んでいた。

「あのー、これお借りしてたお守り…」

 運転手の懐中電灯が照らすと、Aさんはとてもふつうの顔をしていた。暗い部屋に向かって、すこし背を曲げて、誰かに話しかけている。

「どうも。あの、ほんとにお世話になりました。
これ、お守り、返すの忘れちゃってて……」

 震えるほど寒い廃墟の中、ごく自然な様子で、Aさん一人が話している。

「あの、これねぇ……握りしめてたってわけじゃないんですけど。でも、カバンに入れとくと、こう、なにかしら力になったというか」

 ほんとにありがたくてぇ……。照れくさそうに指をこすりながら、Aさんは話し続けた。
 
「おい」 

後ろにいた運転手の奴が、小声で言った。

「あれ、あれ」

 そいつの手は、崩れた壁――ではなく外を指していた。
 やや遠く、低い藪のようなあたりの向こうに、高い建物が見えた。

 病院だった。

 暖色の電灯の光があちこちの窓に灯っている。●●病院という看板が、建物についていた。病院らしい病院。ふつうの建物だ。

 うわ……。

 自分が言ったのか、誰かが言ったのか、ほとんど息のような声が漏れた。
 あっちが病院。
 こっちは。

「先輩……」
 
 聞きたくないのだが、声が出ていた。
 
「え、なに。今話してんだから」

 Aさんはびっくりしたようにこちらを向くと、咎める口調で言った。

「あの……変なこと訊きますけど、ここ…」

 言ってしまってから、どう訊いたものか迷ったが、結局思ったまま口に出した。

「ここ、何ですか?」

 先輩は、ふだんと変わらない調子で答えた。

「ああ。入院して初日に窓から見えたんだよね」

 誰もなにも言えなかった。Aさんの息だけが白く揺れていた。
  
「初日に、入院してる病院の窓から見た、建物、なんですか。ここは」
「そうだよ」
「じゃあ病院じゃないですよね」
「えぇ?」
「その、その人も」

 暗い部屋の入り口を目で示した。

「入院してる患者さん、じゃないですよね」
「あ、そっか」

 Aさんは、はぁ、と白い息を吐いた。

「じゃあ……」

 そう言うと、身を乗り出したAさんは部屋に体を半分突っ込み、覗き込むようにタテヨコに揺れていた。
 やがて、ああ~、と納得するような動きをした。

「いいとこのお嬢さんなんだあ」

 誰も、何も言えなかった。遠くの病院の灯りと、懐中電灯のわずかな灯りのほかにはなにも光がない。真っ暗だった。
 懐中電灯の冷たい光の中で、Aさんの背が上下に動いていた。

「あ~、ごめんなさい分かんなくて。すいません、変なこと言っちゃって」

 何度か謝るようにしてから、Aさんの手がスッとカバンに伸び、何かを掴み出して部屋に消えた。
 一瞬だけ、懐中電灯の光の中を「それ」が通った。

 ティッシュみたいな物のかたまりだった。
 指くらいの大きさの、乾いた、黒い、ティッシュみたいな。

これ返しに来たんでぇ」

 Aさんも部屋に消えてしまうと、なにも音がしなくなった。声も、物音一つもしなかった。
 後ずさろうとして何度か脚が動きかけたが、こわくて動かせない。
 しばらく、ずっとそのままだった。

 不意に、ほっ、と白い呼気のかたまりが部屋から出てきて、子供に戻ったように嬉しそうなAさんの顔が続いた。

「くれるんだって!」

 太陽みたいにぱぁっと開いた口が叫び、こっちに向かって走り出した。
 建物が揺れるように感じるほどの声に追われながら、私たちは何も考えずにAさんから全力で逃げた。


 

 車に駆け込んで山を下り、高速に乗ってからようやく「どうしようか」という話になった。
 どこかで追うのをやめたのか、あるいは振り切ったのか、とにかくあの人に追いつかれる前に車が走り出すことができた。しかし、このまま置いていくのはまずいのではないか……。
「帰ってこれないだろ、どうすんだよ……」
「いいよ、もう。しょうがねえよ」
 一人が言った。
「帰ってこれないったって、もう、あっちの人みたいなもんだろアレ……」
 ようやく暖房が効いてきた車内で、次々と通り過ぎる高速道路の光を浴びながら、全員が小刻みに震えていた。


 Aさんからはなんの連絡もなかった。
 
 月曜日、恐る恐る出社したが、Aさんは来なかった。
 その後、一度も現れないまま、あの人は辞めることになったという話だけを聞かされた。具体的にどういう経緯でそうなったのかは、まったく知らない。




 この話は、ある大学のサークルが発行した「怖い話を収録した冊子」の中から抜粋し、「忌魅恐」というシリーズとして紹介されたものである。
 このサークル自体、いろいろなことがあって今は存在しないが――彼らが調べたところによると、●●病院の近くに建てられたこの一軒家は実在するようで、実際とある「いいとこ」の家の人物が別荘として建てたものだということだった。
 山中の、国道から大きく外れた場所に、窓のない別荘を建てる。
 その意図が何であったかまでは、分からないということだった。


【おわり】




☆本記事は、猟奇ユニット「FEAR飯」が毎週配信している、怖い話をするツイキャス『禍話』(https://twitcasting.tv/magabanasi/show/)のうち、禍話X 第六夜×忌魅恐(2020/11/28)にて語られたお話を、筆者が編集、加筆等を行って再構成したものです。

オリジナルは、ツイキャスログ(https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/653652669)のほか、YouTubeチャンネル「禍話の手先」のアーカイブ(https://youtu.be/sEkm1tDkSQM)からも視聴可能です。

 また、このお話は既にリライトして公開されている方がいますが、筆者がこのお話を非常に気に入っているのと、『禍話』は青空怪談として自由に使って構わないとのことですので、読み味や細部の異なる別バーションがあってもよかろうと思いつつ、参考にさせていただきながら書きました。

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