オリンピックについての基本の考え方 その1
かつてオリンピックにかかわる仕事をしていた時期がある。そんなに長い期間ではなかったが、それまでに感じていたオリンピックへの考え方が大きく変わることになったので、そのいくつかを紹介したいと思う。
そもそもオリンピックとは何か?
オリンピックと言う単語を日本語で「スポーツ大会」の意味に使用していることが、実はそもそもおかしい。大体「〜ック」で終わる英単語は基本的に形容詞である。オリンピック(Olympic)も実は形容詞である。しかし我々日本人が現在、通常「オリンピック」として認識しているスポーツ競技大会は、オリンピック競技大会「Olympic Games」のことである。
ではその名詞形は?聞いたことがある人もいると思うけれど、オリンピアード(Olympiad)である。オリンピアードとは、古代ギリシャの紀年法(暦=こよみの方式)のひとつで、「オリンピック開催年から始まる4年間の期間」(Wikipedia日本語版による)のこと。最近国会で話題になった「オリンピック憲章(Olympic Charter)」には「オリンピアードとは連続する4つの暦年からなる期間である。それは最初の年の1月1日に始まり、4年目の年の12月31日に終了する」とある。つまり特にスポーツとは関係のない4年ごとの期間を指していて、その期間ごとに行なう競技大会のことを「オリンピック競技大会(Olympic Games)」と呼んでいる(日本語の慣用ではこれを短縮して「オリンピック」と呼んでいる)。
夏季と冬季の大会は同じ呼び名ではない
あまり使わないが「オリンピアード競技大会(Games of the Olympiad)」という呼び方もある。これはよく間違われるが「オリンピアード競技大会」はもともと4年のオリンピアード期間の基準となる夏季の大会にしか使わず、冬季大会は正式に「オリンピック冬季競技大会(Olympic Winter Games)」と呼ばれる。夏季の大会のことを「オリンピック夏季競技大会(Olympic Summer Games)」とは絶対に呼ばない。あくまで夏季は正式には「オリンピアード競技大会(Games of the Olympiad)」なのである。つまり、
「オリンピック競技大会(Olympic Games)」=「オリンピアード競技大会(Games of the Olympiad)」+「オリンピック冬季競技大会(Olympic Winter Games)」
である。報道機関や大会組織委員会に関わる方々は是非覚えておこう。ちなみに正式には(しつこい?)、「冬季オリンピック競技大会」ではなく「オリンピック冬季競技大会」である。オリンピック冬季競技大会は、雪上か氷上で行われる競技のみが冬季競技として認められる。例えば卓球やバスケットボールを冬に開催するといっても冬季競技として認められない。
これらの細かい定義については、オリンピック・ムーブメントの「総元締め」である「国際オリンピック委員会(International Olympic Committee、英語略称:IOC)」が古式ゆかしくきちんと規定している。
オリンピズムとオリンピック・ムーブメント
オリンピアードは単なる暦の一種だったのだが、1894年にフランスのピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Coubertin)がスポーツを通じた世界平和の実現を目的に古代ギリシャの故事を現代風にアレンジし導入した「近代オリンピズム」と言う考え方を創始し、「オリンピック・ムーブメント」と言う活動に昇華させた。それがスポーツ競技大会としての活動の始まりとなった。
オリンピズム=思想
オリンピック・ムーブメント=活動
「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」(オリンピック憲章より)とあり、当初から単なるスポーツ競技大会のみならず文化活動をも通じた人間性の追求を主眼としていて、世界全体を参加対象とした考え方であった。
オリンピック・ムーブメントを推進する組織「IOC」は、単なるNPOのひとつ
オリンピック・ムーブメントの構成要素は、国際オリンピック委員会(IOC)、国際競技連盟(IF)、国内オリンピック委員会(NOC)となっていて、さらに大会組織委員会(OCOG)、選手やチーム、審判や役員等も含まれる。ときどきニュースにも登場するIOCは、国際連合など何か正式な国際機関のような印象があるが、実は法的にはひとつのNPO(非営利団体)に過ぎない。但し現在は国際連合のオブザーバーとして認められている。
オリンピズムとは、スポーツや文化を通じて世界平和を維持する理想の実現
このオリンピズムに基づくオリンピック・ムーブメント全体が、スポーツや文化、教育を通じて世界の若者を結びつけ、平和を維持すると言う崇高な思想を広げていく活動である。それは欧州が戦争に明け暮れた19世紀の反省を活かし、20世紀を通じて平和の世紀にしようと考えたクーベルタンの強い意思が反映されている。そのため、IOCの強いリーダーシップの元、オリンピック憲章などで思想的にも堅固な考え方が決められている。そのため、オリンピックでは他の単なるスポーツ競技大会と違ってある意味、理想主義的で、大げさで立派な開閉会式が催され、平和の祭典と呼ばれる所以なのである。そしてそれが20世紀を通じ100年以上も続いた。
単なるスポーツイベントと考えていては、たくさんの違和感が出てくるのはそういう理由だったのである。2020年に東京オリンピックを迎える日本も、まずはこのような基本の考え方をきっちり押さえておいて欲しいところだ。
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