中ライスくん(3)

彼が店に来なくなり、5ヵ月が経った。
就職を控えたあたしは、バイトを辞めることにした。

裏であーだこーだ世間話をし
客をからかうのが好きなオバちゃんたちのことは

そんなに嫌いではなかった。

明るくふるまうあのひとたちを
バイトをはじめてすぐよりも、好きになっていた。

ひとをバカにしてるんじゃなく
毎日毎日おんなじことの繰り返しのパートの仕事に
ちょっとでも楽しさを見出せるようにと

オバちゃんたちなりの工夫なんだって気づいたのは
辞めることを申し出た後だった。


半年間働いたこの弁当屋の
常連客ほぼ全部の
好きなメニューと定番注文を覚えることができた。

反対に、
客のほうもあたしの顔と名前を認識してくれて
みんなカマちゃんカマちゃんと呼んでくれるのが
とっても嬉しかった。


中ライスくんも、カマちゃんって呼んでくれてたな。
結局、会えないまま終わりになっちゃうな。


バイト先だけじゃない。
学校の卒業と、引っ越しと。

別れのシーズンは
いちいち心が忙しい。


「いらっしゃいませー!
 今日は何にしますかー?」

せつない心に喝を入れ、
今日もお客さんのために笑顔で接客する。

「カマちゃん、今週末で辞めるってホント?」

名前どころか、辞めどきさえも客の中で噂になってるようで。
今、ちょっとだけ有名人気分を味わってるみたい。

「そうなんですよーーー、寂しいーーー
退職祝にたくさんお弁当買ってくださいねー」

オバちゃんたち並の冗談も言えるようになったけど
ちゃんとお客様を観察して言ってるつもり。

弁当を買いにだけ来てる人。
世間話がしたい人。
冗談を流してくれる人。
早く弁当を受け取りたい人。

その人その人に合わせる接客は
記憶と観察眼の勝負で
その場限りのスリリングな楽しみがたまらなかった。


いつもおんなじメニューを注文してくれる人もいたな。


ぱっと顔を上げ

「去るもの追わず!」

思わず、死んだじいちゃんの名言を口に出していた。


ーーー

バイトを辞める日は
カレンダーに赤丸がしてあった。

「カマちゃん、寂しいわぁー、もっと居てくれたらいいのに」

お世辞じゃないって分かるから、よけいに嬉しくて、寂しい。

「橋本さぁーん・・・あたしも寂しいーーー!」

「さ、最後よ、出て出て」

最後だからこそ、厨房じゃなく
できるだけ長くお客さんと顔を合わせたい。

できれば、ひとりひとりに挨拶もしたいな。

いつもは厨房と行ったり来たりだったけど
オバちゃんたちは気を利かせ
レジ番をあたしに任せてくれた。

さぁ、最後!やるか!

時計の針が12時を指す前だけど
早めにレジ台へ向かった。


ブォォォォォォオオオ!!!!!


…?!


聞き覚えのある、
懐かしいあの音。

どうして?

え、待って、まさか…

目を見開き
でも期待が外れていても嫌だから
おそるおそる顔を上げると


なんと

いつものニッカボッカと首のタオルをしてない、
顔は確かにあの中ライスくんだけど
びしっとスーツを決め込んでいた。

え?

なに?

どうした?

久しぶりの彼の登場と
場違いすぎるその格好に

開いた口が塞がらないとはこのことだ。

「えっ、ちょ…
 ウケるんですけど…」

照れ隠しだろうか、
とんでもなく失礼な言葉を言い放っていた。

「カマちゃん、久しぶり!」

あぁ、久しぶりに聞いたよこの声…。

「ちょ、、、どうしたんですか?
 ずっと、来なかったから
 どうしたのかなって」

うまく言葉が出てこない。
あたしの得意な観察眼が
今日はうまく働いてくれやしない。

「急に現場監督に配属されて。
 あっちの市のビル建築にいたんだわ」

「あ。。え・・・昇進?!
 何それ、カッコイイー!」

久しぶりの会話に
どんなテンションで話していいか頭が軽く混乱してる。
間違いなくこんなタメぐちキャラじゃないでしょーに!!

「で・・・現場のやつらから聞いて。
カマちゃん今日で辞めるって」

胸の奥が
けたたましく鳴ったのが分かった。

え、
…なに?



あたしのために…
きてくれたの?




「カマちゃんに世話になったからさ、
最後にお礼したいなと思って」

紙袋を下げてるのに、今初めて気づいた。

「えーーーー!うそうそ…」

ありがとうとか、驚いたとか
もっと言いたかったけど
なんだか言葉が出てこなかった。

「前に話してた時、コーヒー好きだって言ってたから」

手渡された袋の中には、ティーカップの箱がちらりと見えた。

あたしの好きなもの、覚えててくれたんだ…


あたしが一方的に注文を覚えて先回りして用意してたのとおんなじで

彼も、あたしの好きなものを用意してくれていた。


偶然なのか、考えてくれたのかは分からないけど

彼もあたしのことを“観察”してくれたのが
なんだかとっても嬉しかった。

ずしりと重い紙袋を受け取り

「ありがとうございます、」

彼の目を見て、声をかけた。


「じゃあ…いつものアレで」


「はい!いつもの、ですね!」



ーーー


それ以来、彼と会うことはなくなってしまったけど

10年経った今でも

家でコーヒーを淹れるたび、

彼と気持ち通じ合ったことを思い出しては

ひとり笑みをこぼすのが

あたしの小さな楽しみだ。



旦那も子どももいるんだけどね。





おしまい

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