2018年のイサム・ノグチ展について書いてた下書きが面白かったので3年経てそのまま投稿する

今年2021年、上野の都美術館にてイサムノグチ展が大々的に執り行われたんだが、晩年(有名どころ)の作品が多かった模様。

以下に私が感想を書いていたのは2018年にオペラシティでの展示。
イサムがイサムたる以前(青年期)の作品がたくさんあって、彼の人生初半を辿るような内容だったのを覚えている。

noteをサボり早3年、
タイムカプセルのように発掘した文書は相変わらず駄文のわりに面白く読めたのでここにリリースしてみる、みます。




先週行ったイサム・ノグチ展が忘れられない

この頃ヤバいの一言で片付けがちで、言葉にして伝える努力をしなくなったことに危機感を覚えたので書きだしてみます。

石彫のイメージが強いイサムだけれど、今回はイサムの一生を凝縮した回顧展。水墨から内装まで、修行時代の作品から集まっていた。
イサムの作品が好きな私は結構知っている気持ちになっていたけれど、初見の作品群も沢山あった。

特に今回感動したのが、修行時代に北京で石山に師事してた時期の水墨画。資料では見ていたけれど、実物を見て、その線の潔さにおどろいた。

イサムは太い線と細い線、どちらから描いたんだろう。
- 太い線から描いたなら、太い線が骨か。
- 細い線から描いたなら、太い線は影か。いやどっちもありえるな。

山水画の絵の眼なのだうけど、そうそう、その線さえあれば伝わってくる、という線だけで描かれていて高度な抽象の仕方に驚いた。
イサムって彫刻家じゃなかったのか。

でも、回顧展を一周見たあとに気がついた。
イサムだって年を取ってから彫刻家に行き着いたんだ。この絵を描いた時はイサムも26歳。NYから北京に行って、斉白石に師事してた時だから、まだ自分が芸術家として大成するなんて知らない、多分不安も持ちながら技を磨いてたときの絵だった。有名な石彫もはじめたのはこの絵のずっと後だし。

そしてお風呂に入っているときにもう1つ自分に反駁。

有名なのは石彫だとしても、彼は空間に関することならなんでもやっていた。ランドスケープも、庭も、照明や空間設計だって。
彼の所業は芸術家とか、彫刻家とか、そんな職業のラベルじゃ囲えないところに落ち着いたな。

イサムを勉強してくとすぐvoidの概念が出てくる。
0の中に1を見出す事。何もない空間にものを置いて、人びとに空間が存在していることに気づかせること。また、空間側から人に介入すること。

ある意味、紙に墨を垂らすことも、空間に彫刻を置くことも、彼は同じ視線を持ってたのかもしれないなど考えたり。
確かに彼の作品を見ると、普段見過ごすところに「あ、空間があった」と再認識することがあるし、実際に作品に座ったり、作品が動いているところを見ると、作品に人が動かされたりまたは作品があるから人が新しい動線で動き出したりすることがわかる。
写真は撮れなかったけど、彫刻や模型も沢山でていて、プレイグランドシリーズをたくさん見れたので大満足です。彼の考える人との距離とか空間の立ち上げ方とかもっと知りたいなぁと思いました。

24日までなので、みなさまぜひ。#isamunoguchi #オペラシティアートギャラリー

いや、この展示は3年前に終わっているんだけどもね。


イサムがやってきたこと
・平面の紙の中から線を見つける
・岩の中から形をみつける
・空間の中から間を見つける

決して簡単なことではないけど、研ぎ澄ました感覚で全ての発見を落とし込んでゆく作家ことイサムはどこまでも見飽きない。

2018年のこの展示以降、
同2018年 NYイサムノグチ庭園美術館
2019年 万博公園
2020年 土門拳美術館
2021年 モエレ沼公園、イサムノグチ展

など、各地でイサムを見てきたけど、この2018年の水墨画ほど立ち止まってずっと眺めてたものはなかったかも。

またどこかで観れますように。

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